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5 お布施の目安は存在するのか?/イオンとアマゾンをめぐるお布施論争④

 いったんここで、このイオンと全日仏の対立の論点について整理したい。  お布施というものがよくわからない、お布施をいくら包んでいいのか判らずに不安を感じる、といった意見は、以前からずっと言われてきたことである。

  金額がわからなくて不安ということだけではなく、お布施は高いというイメージもある。ただし、何が高いか安いか、ということは、主観的なところもあるので一概に言えないし、そもそもお寺によって金額が異なるのだから、一般論で語ることは難しい。しかし現実として「お布施をつつんだら、こんな金額じゃ受け取れないと、つっかえされた」「葬儀をおねがいしたら、驚くほど高い金額を請求された」などといった話はよく聞く。もちろん、こうしたトラブルは、一部のお寺で起きていることに過ぎないのだが、こうした話を聞くと、自分もそういう目に遭うんじゃないかと不安になるのは自然であろう。

  イオンは、こうした不安を無くすために、お布施の目安をホームページに掲載したというのである。しかしイオンが目安としてホームページで示したのは、イオンが提携している寺院との間で取り決めた金額でもあった。自社で決めた金額を、「目安」であると拡大解釈して示したとも言える。

  この場合、イオンが提携している寺院に葬儀をお願いすれば、イオンが示した金額でお布施を包めばいい。そこに問題は起きない。

  しかし、「目安」ということで金額を示せば、それが普遍的な内容を持ってしまう。イオンと関わりのある寺院だけでなく、日本全国の寺院にとっての「目安」になりかねない。しかも、イオンは誰もが知っている巨大企業である。その巨大企業が示した「目安」は、ブランドを背景に信頼性を持ってしまう。

  ところが現実問題として、お布施には、全国的な「目安」を設けることが不可能である。地域によって異なるし、宗派によっても異なる。地域も宗派も同じであっても、隣のお寺でも異なることは珍しくない。しかも、同じお寺でも、檀家によって、そのお寺との関係性で異なってくることもある。

  むしろイオンが「目安」として一定の金額を示すことで、個別の事情が無視され、トラブルとなる可能性が高いのである。

  例えば、ある人がイオンの「目安」を見てお布施の金額を決め、僧侶に渡したとする。それがもし、その地域、その宗派、そのお寺での標準的な金額と大きくズレていたら、どうなるかということである。

  特に金額が少なかった場合、お寺としては、「困った」ということになる。「まあそれでもお布施だから、金額は関係ないからありがたく受け取っておこう」とするお寺もあるだろう。でも、「お布施が少ない」ということをはっきり言ってきたり、他の人を通じて伝えてきたりする場合もある。そんなことを言われたら檀家は、「こっちは、全国的な目安に従って金額を決めたのに、なんで、こんなことを言われなくてはならないんだ」ということになるだろう。こうなると、お布施を出す方にとっても、受け取る方にとっても、いいことではない。

  つまりイオンの示した「目安」というのは、あまり「目安」としては役に立たない。本当に正しい「目安」があるのならば、葬儀を頼む方は安心できるはずなのだが、少なくともイオンの示したものは安心を生まない。

  ではなぜ、イオンは、自社の提携している寺院に限定で金額を示す、ということをしなかったのだろうか? 

 その金額を、あくまでも「イオン提携の寺院」に限定してしまえば、少なくともそれが他の寺院に影響することはないはずである。ありもしない「目安」で、人々を混乱させることも無いだろう。 

 しかしイオンは、お布施を定額表示することを意図的に避けた可能性が高い。以前から仏教界が、お布施の定額表示ということを批判していたことを知っていたからである。仏教界は、お布施を定額表示すると、お布施が宗教行為の対価になり、単なる料金になってしまうと考えている。後述するが、全日仏とアマゾンに出展された「お坊さん便」に対して抗議した時には、このお布施の低額表示ということが論点だった。定額表示をすれば当然、仏教界の反発を招くことはわかっていた。そのため、定額表示を避けて、「目安」という妥協点に落ち着いたのである。

  ただ結局はイオンが妥協点と考えた「目安」も、結局、仏教界にとって許せる範囲のものではなかった。目安だろうがそれがお布施の料金化を促すものであることには変わりないと考えたのである。

  そして全日仏は、仏教界を代表してイオンに抗議し、ホームページ上から「目安」を削除するよう求めたということだ。(続く)  

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