見出し画像

トキワ荘マンガミュージアム「寺田ヒロオ展」見学記①

豊島区立トキワ荘マンガミュージアム特別企画展「トキワ荘のアニキ 寺田ヒロオ」が開催中ということで見学してみました。トキワ荘とは手塚治虫、石森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫ら漫画界の巨匠らが若い頃に入居していたアパートです。漫画家やファンの間で「聖地」とされています。

聖地

才能ある若者が偶然、トキワ荘に集まったのではありません。まず1953年に編集者のススメで手塚治虫が、次いで寺田ヒロオが入居。そして寺田が漫画家を目指す同志を集めようと思い、梁山泊のようになったのです。

トキワ荘メンバーの定義については様々な議論があります。トキワ荘公園内の「トキワ荘のヒーローたち」というモニュメントに刻まれた方々が一般的に知られたメンバーです。

スクリーンショット 2021-01-11 032901

スポーツ漫画の先駆者・寺田ヒロオ

画像7

今回の企画展は「トキワ荘のアニキ 寺田ヒロオ」ということですが、「寺田ヒロオ」をご存じない方も多いと思います。

寺田ヒロオとは昭和30年代初期の売れっ子漫画家で代表作『スポーツマン金太郎』はスポーツ漫画のパイオニアと言ってもいいでしょう。通称「テラさん」。石森、藤子、赤塚より先に活躍していたことからリーダー的存在になりました。「アニキ」と言われたのもトキワ荘メンバーの精神的支柱だったからです。例えば赤塚不二夫が漫画家を諦めようと最後に描いた作品を寺田に見せたところ「僕ならこの作品から4本、5本も描ける。アイデアを詰めこみすぎている」とアドバイスした上で5万円を貸した、こんなエピソードが伝わります。

くらし

同館の展示資料に藤子Aの金銭出納帳がありました。1955年の4カ月分の原稿料が13780円だから5万円がいかに大金かよく分かります。

NHK銀河テレビ小説『まんが道・青春編』(1987年)では歌手・俳優の故・河島英五が演じていました。熱血漢で温かみがある寺田を演じていました。

劇中ではトキワ荘の住民たちが愛飲した「チューダー」(焼酎とサイダー割)で宴会をしていました。トキワ荘の歌があったんですね。こんな歌詞でした。

東北、北陸、九州と 互いに見知らぬ若人が互いに夢を持ち

正確ではありませんがこんな一節が記憶にあります。箸で丼を叩きながら熱唱するテラさんはまさにアニキそのものでしたね。しかし本木雅弘演じる映画『トキワ荘の青春』(1996年)の寺田はむしろ悩める青年といったイメージ。私が抱いていた「テラさん」像とはかけ離れていました。漫画文化が根付いていく中で商業主義化し、「児童漫画」を重視した寺田の理想とギャップが生じていくわけです。『トキワ荘の青春』は寺田の影の部分を描いていました。

画像5


炊事場、トイレまで忠実に再現。よこたとくおのこぼれ話も展示されていました。A氏は赤塚、T氏はつのだじろうですね。

画像2

画像3

画像4

漫画黎明期の人気漫画家・テラさんの評価

今の時代、寺田作品が再評価されたわけでもなく、人気漫画家が愛読書として寺田作品を挙げることもありません。ネット上では「テラさん」としてネタ扱いされることもありますが、作品自体の評価とは無関係です。

代表作『スポーツマン金太郎』は1959年(昭和34年)、週刊少年サンデー創刊時の看板漫画。まだ「貸本漫画」が存在した時代、テラさんは大手出版社の少年雑誌で人気漫画家の地位にありました。

そりゃラムちゃんだ、コナン君だ絶対可憐チルドレンだのと違い、当時のサンデーはあくまで学童誌。教育図書の側面もありました。だから刺激的な内容ではなく冒険、SFロマンといった作品が中心。要するに「良い子の漫画」が好まれました。そんな時代にあってほのぼのとした牧歌的な寺田作品は一種の模範作と評価できます。

しかし漫画文化が進化する中でより子供たちも刺激を求めるようになり、さらに大人も漫画を求めるようになっていきます。いわゆる劇画ブームです。となるとテラさんのような「良い子の漫画」は必然的に埋没していきます。

逆に藤子両氏、石森、赤塚は国民的漫画家に。

テラさんの3歳下、非トキワ荘メンバーでも手塚と並ぶ巨匠、横山光輝の最盛期自体は50~60年代でした。しかし多くの作品が特撮化、アニメ化されていきます。しかも『三国志』など歴史漫画で90年代まで現役バリバリ。

あるいは貸本漫画で細々とながらも強烈な個性を放っていた水木しげる、つげ義春、白土三平らも時代を超え活躍。現代の若いクリエーターに影響を与えています。

『ギャートルズ』『がんばれゴンベ』などの園山俊二は全盛期が古くともキャラクター人気と新聞四コマ『ペエスケ』で長く活動の場を持っていました。ギャートルズは90年代にリメイクされ、今でもCMキャラクターなどに起用されることも。ですが、スポーツマン金太郎が商業利用されたことはありません。

東海林さだおは爆発的なヒット作はなくとも、これまた新聞漫画、風刺漫画、それから食のエッセイという全く独自の地位を築きました。

そこを行くとやはりテラさんは「良い子の漫画」あるいは「教科書漫画」の領域を脱することができませんでした。正確には「時代」を拒否したというべきか。「子どものための漫画」という強烈な信念がゆえでしょう。

藤子Fも根っこのところで「学童漫画の人」を感じさせます。しかし彼は短編集で凄まじい毒気と刺激を表現できます。テラさんの世界観ではありえないことです。

残念ながらトキワ荘メンバーにあって寺田は「巨匠」とは言えません。しかし漫画史においてかけがいのない存在でしょう。単に作品では語り尽くせない、それが寺田ヒロオの魅力でもあります。

(文中敬称略)








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?