新聞記事のゲラチェック論争 当事者が問題点を理解してない、できない悲劇
ゲラチェックは出版社ならば日常茶飯事
最近の報道関係者はTwitterのネタ供給源になっている気がしますが、今回はこれです。どうも記者と思しきユーザーが取材先でゲラチェックを要求されたことに戸惑ったそうで。
それに応じて、にったさんというこれまた記者らしいユーザーがこうフォローしました。
「心配せんでも、こっちはプロやがな」。すごい! なかなか言えることではありません。仮に取材や記事構成のプロだとしても、医療や法律といった専門性が高い分野まで「プロ」と言えるでしょうか。医師や弁護士、もし記事に誤りがあったら取材先の方の業務に支障が生じます。また専門性が高い分野だからこそ記事を見てもらってより精度を高めた方がいいと思うんですけど。逆に私が記者なら怖くてむしろ先方に校閲を依頼するぐらいの感覚で事前に記事を見てもらいます。
雑誌の取材でゲラノーチェックは記憶にありません。私が健康雑誌を担当していたことがあったので医師に取材した場合は必ず事前に確認してもらっていました。
後はレポートもので識者のコメントをもらう時はゲラの発言部分だけを確認してもらいます。これが協力してもらう条件ですから。こういう作業は新聞記者の場合、編集権の侵害と考えるのかな?
なお某新興宗教に原稿確認を求められたところ編集長と示し合わせて全て見せるけど一字たりとも修正しないという戦法でいきました。先の記者さんにこういう芸当はできないでしょう。
ただ関連する投稿を見てもどうもこの議論が嚙み合っていません。というよりも新聞記者側が別方向に走ってしまう、あるいは問題点を理解していないことに気付きました。
なぜここで戦時中の検閲が出てくる!?
プロといっても記者さんは科学部でもなければ大半が文系人間。理化学分野、工学、医学分野を正確に理解できるでしょうか。
例えば政治家の不祥事を取材して「ゲラ見せろ」ならば拒否でいいと思いますよ。ところが例えば「冬場のヒートショックどう防ぐ?」的な記事で医師に取材した場合、先方としても正確な記事でなければご本人の信用問題に関わります。そういう場合も編集権を持ち出すのは筋違いだと思います。
なのに青二才記者さんとそしてこの人を擁護する記者と思しき面々は問われている問題が理解できていないようです。
原因は分かりました。これです。山口一朗さんという毎日新聞記者の投稿で本音が垣間見えます。どうもゲラチェックを「検閲」と考えているようです。戦時中にどんなことがあったか、ご存知ですよねって。
なぜこの話題の流れの中で戦時中の検閲が出てくるのか謎です。
今、問題にされているのは例えば専門性が高い分野でミスや誤解を防ぐための事前確認でしょ。
それは別に検閲ではなく正確性を担保する作業ですよ。新聞記事だって商品であり、しかも不特定多数の目に触れられる。ならばより精度を高めた方がいいという考えには至らないものでしょうか。
私の予想ですが、日刊紙の場合、ゲラチェックがあると締め切りに間に合わないから単純に面倒臭いので「戦前の検閲」「編集権の独立」という大義をふりかざしていると思います。
まあこういう不遜なところでしょうね。マスコミ不信の原因は。
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