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トキワ荘マンガミュージアム「寺田ヒロオ展」見学記②

スポーツマン佐助の生原稿。テラさんは社会人野球で都市対抗にも出場したほどの選手でした。今で言うと『バトルスタディーズ』の作者でPL学園野球部出身のなきぼくろ氏みたいです。

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「野球は戦略によって運動が苦手なものでも勝てる競技であったため、性に合った」と述懐したそうです。戦後直後の野球だから今の野球の常識とはまるで異なるわけですが、なんとなくテラさんのお人柄が偲ばれます。

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戦後直後に活躍した井上一雄の『バットくん』に憧れて漫画家を目指したそうです。上がテラさんの『スポーツマン佐助』。下がバットくん。絵柄を比較しますと投球・打撃フォームの描写などかなりの進歩が見られます。動きに躍動があるというのか。それからスポーツ漫画に実況役を採用したのはテラさんが初めて採用した表現方法ということでした。

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寺田ヒロオ「トキワ荘物語」の生原稿。吹き出しがちょっと読みにくいので拡大してみてください。手塚治虫がいた頃は編集者たちが手塚の消息をテラさんに聞き、藤子や石森が売れるとまたテラさんのところに。仲間たちに振り回されている姿をコミカルに描いています。

テレビジョンに描いていた! まだいけたのに‥

テラさんの意外な歴史として1982年から83年まで「ザ・テレビジョン」(角川書店)の「ひとこまマンガ展」に寄稿していたことです。「ザ・テレビジョン」なんてテラさんのイメージとかけ離れていますが・・。

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複数の作品が展示されていましたが、私のお気に入りを一つ挙げます。当時、日本人がいろいろな国に観光するようになりました。そんな様子を風刺した作品です。すごく皮肉が効いてスパイシーな仕上がり。

普通にイケているというか、新聞や週刊誌の風刺漫画あたり十分通用する気がしました。または野球が好きなんだからスポーツ新聞や野球雑誌で漫画付きのコラムなんてうってつけと思うんですがねぇ。

しかし心が「子どものため」にある人だから、大人の世界を相手にするのは良しとしなかったのでしょうか。82年、83年なんて私もコロコロコミックなんて購読していましたからね。超人キンタマンの隣にテラさんの作品が掲載されるというのはちょっと想像できません。だからこそ伝説の人になったとも言えますが。

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当時の電話ボックス。ドラえもんの若い回にこういう電話ボックスが出てきました。マグマ大使の初回に爆発した電話ボックスもこのタイプだったような。

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ミュージアム公園内にあるカフェ。チューダーは16時からの販売です。

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トキワ荘とくればやっぱりこれ。松葉です。

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いわゆる町中華という風で価格もお値打ちでした。

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ラーメン(600円)。いわゆる「中華そば」というスタイルで鳥ガラベースに煮干しが香りました。誰も文句がつけようのない素朴でお手本のようなラーメン。まさにテラさんの味? おつまみのメンマ(100円)も。

味の表現はもうあれしかありません!

ンマーイ

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お目当てのチューダー(350円)。『まんが道』でテラさんが僕が発明した飲み物と言っていました。作中のレシピでは焼酎3、サイダー7ということです。結構、濃くないかな。サイダーはどのメーカーかお店に聞くのを忘れました。香りが三ツ矢サイダーだった気がします。味? 味は普通の焼酎のサイダー割りとかつまらんことは言いません。ちょっと唇をとがらせて

プハーーッ、きくー

この一帯はとにかくトキワ荘にまつわる書店や資料室があって、本当に観光地としても楽しめます。それと町の人たちがすごく熱心でトキワ荘をものすごく大切にしていました。

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緊急事態宣言が明けたらもう一度、訪問してみたいです。





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