中国人と日本人、死生観が大不同

 日本文化と中国文化は異母兄弟と言われて、文化の共通点が多くあります。しかし、根本的に違う部分もたくさんあります。

 日本人と中国人の大きな違いの一つは、生と死、死生観の違いです。中国人にとって来世という観念が薄く、もっぱら現世的な利益を重視し、一般的に神を信じないことも現れています。特に、1949年新中国が成立してから、政府は無神論を標榜し、宗教と教育を分離するという原則に基づいて国民教育を展開しています。宗教教育は学校教育に入っていないです。無神論の前提として教育を行うために、若い人は死後の世界により関心希薄の傾向が見られます。
 
 儒教の始祖である孔子は「いまだに生を知らず、いずくんぞ死を知らんや」という言葉があります。つまり、ほとんどの中国人は死後のことを考えることがしません。死後の世界よりも、現世に名誉を残ることが一番大事で、死者を神として奉ることがあまりないです。中国は死者のためのお墓がありますが、それは先祖孝行として行い、お墓への参拝目的は、祖先が現世の子供を守ってくれるという願いを持っています。

 また、日本人は死者に対して死ねば仏になるのが、一般的な考え方ようです。死んだ世界と生きている世界は別世界で、命が亡くなった以上に、たとえ生きていたときに悪行を犯しても、許さることが多いようです。一方、中国人は生者と死者に区別がなくて、死んでも悪人は悪人という考え方があります。そのため、中国はお墓をあばき死体に鞭打つこともあります。このよう、死んでも糾弾された最近の例として、文化大革命の時期に毛沢東の傍に活躍していた政治家である康生という人物が、生きていたときに功績が良いと評価されたが、死んだ後に、文化大革命を促した黒幕「四人組」として見られて、激しく非難され、お墓まで掘り出されました。


 中国人のこういう死生観を知らないと、日中の間に様々な問題が解決までに辿り着かないです。例えば、いつも話題になる靖国神社の問題です。日本人の死生観から見ると、死ねば仏になりますから、たとえA級戦犯とされた人々が靖国神社にまつられたとしても、それは不自然だと感じにくいです。中国人の死生観から見ると、戦争犯罪人は死んでも戦争犯罪人ですから、お墓をあばき死体を鞭打つところか、彼らを神社につまり、日本の首相もよく参拝に行くことが、非常に理解しにくいです。

 靖国神社は全体的に戦争で命を亡くなった人を参拝する意味を持つことは中国側も理解できたようで、実はA級戦犯が靖国神社に入る前に、中国から靖国神社への参拝反対はしなかったです。しかし、A級戦犯まで靖国神社に入ると、戦争の責任者がいなくなり、死生観的にも受け入れないです。

 このように、日本人と中国人の根本的な価値観を理解することが、様々な日中問題を解決するには、非常役立つではないかと思いました。


参考文献:中嶋嶺雄 「日本と中国人ここが大違い」 PHP研究所 2008年

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