方向音痴とそうでない人の違い
こんにちは、じんです。
少し前、親と散歩をしていたら、自分の方向音痴具合に嫌気がさしました。
引っ越したばかりで出歩いた回数も私と大差ないはずなのに、あそこにあの店があるとか、こっちに行ったらあそこに出るとか、私が全く把握していないことを何気なく言うもので、びっくりしました。
しかも通ったことのない道を指して、あそこを曲がったらあの辺りに出るだろう、とか言い出すんです。何でわかるのか...
私も負けじと当てずっぽうで適当を言い、間違いを指摘されるのを何度か繰り返し、もうこれは何も言わず聞いていようと大人しく親に付いて歩いていたら、あることに気づいたのです。
彼らは基準として見てるところが全く違うのです。
これに気づいてから、試しに普段入らない道で見方を変えて歩いてみたところ、迷っても必ず知ってる道に出てこれるようになりました。
彼らが見てるもの
建物が建ち並ぶ街を想定して話します。
方向音痴のみなさん、道を覚えながら歩いているとき、何を見ていますか?
曲がり角にある看板?お店や道路の雰囲気?曲がり角の場所や感じとかでしょうか?
「この○○って店の横にある道を右に曲がって...」「ガードレールが茶色い柵に変わる手前の道を左に...」「ECCジュニアの看板をつけてる家が見える道に入って...」こんな感じでしょうか。
実は方向音痴ではない人は、そんなもの見てないんです。追加情報でしかありません。
よく、方向音痴ではない人は動かないものを目印にしてるとか、方角がわかるとか言いますが、それは次の段階です。道を歩きながらどう情報を整理しているのかという根本が違います。
彼らは、自分がどのブロックの横を歩いているかを見ています。道ではなく、建物が建っている敷地の塊を情報の基礎にして見ているんです。
ブロックとブロックの間が道になっているため、目的地のあるブロックを目指し、道を縫って進んでいるイメージです。
もちろん、道に名前がついていたり、建物を目印とするものはありますが、ブロックの情報を把握しながら道を行くため、一度近くを歩いただけで、あの道に入ればあそこに出るという予測がたてられます。
あとは基準となるブロックや大きな建物などの目印を把握しておき、そこを基点として方角や自分の位置、目的地の位置を推測し、把握しています。
実際に通るのは道なので、道とそこから見える建物に意識が行きがちですが、ブロックで見ると把握できる情報量が全然違います。
電柱や建物についている住所表記なんて見たことありませんでしたが、すごく分かりやすくなってるんですね。
○丁目の○番地がここだから...隣の番地を越えたところで右に曲がれば...なんて言ってみたいものです。
まだまだ練習が必要ですが、見方を変えただけでかなり安心して歩けるようになりました。
方向音痴の方は、是非実践してみてください。
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