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助けてと伝えること

久しぶりに、夫と二人だけで 長い時間話すことが出来た。
最近は、二人とも疲れていて、息子と一緒に寝て 気づくと朝を迎えるような
調子だったから、ゆっくりと日頃 気になっている話題などを話し合う時間が
持てなかった。だから、行き違いや食い違いで 喧嘩になることもあった。

日曜は、何を思ったか 息子が「じいちゃん家に行く」と言い出し、私に
送っていけと言う。仕方ないので送って行ったら「お昼にお迎えに来てね」と
言うので、午前中 ぽっかり時間が空いて、話が出来た。

土曜 夜遅くまで 夫の実家の村で役員会があった。村の仕事(隣組長など)は
高齢の義両親には出来なくて、別の所に住んでいても ちゃんと出掛けていく。
そこで、色々な議題が上がる。今回は、90過ぎのお母さんと50代の息子さんの
二人暮らし世帯の方が「区費を納められない、隣組長の仕事も受けられない」と
言ってきた、と言う話になったそうだ。今後は、そういう家も増えるだろう。
事態は、結構 深刻なのだけど。
夫は、その方が 軽度の知的障害があると知っていて、本当は福祉の手を借りる
ことが大切だと思っているのだが、本人からの申告もなく、福祉の手は 入って
いない。村の中で その話はタブー なのだと言う。
「すぐに、人権だの プライバシーだの、個人情報だのって言うんだけどさ、
本音は『私たちは関わりたく、ありません』なんだよな。」と憤っていた。

息子が自閉症だと言われた時、私も、周囲に伝える事を すごく迷った。
障害があると分かると 明から様な差別を受けたり、陰口を言われたりする。
田舎の嫌な所だ。
福祉の力を借りること、周囲に自分の出来ないことを伝えること、助けて欲しいと伝えること、そう言うことに慣れてないし、私の親たちは「障害なんて絶対に
あってはならない」と言い続けてきた。
外見でわかる障害を持った子供さんがいれば「かわいそうに、かわいそうに」「気の毒だねぇ」と言うのだが、明らかに それは違っていて 「自分たちの
子供は そうじゃなくて良かった」と思ってる。腹の中は 真っ黒だと思った。
大人って嘘つきだ。 そう思いながら大人になった。

でも 実際に生きていく上で 出来ないことは、出来ないんだよな。だから
「自分は、これは出来ないので助けてください」と 誰もが言える社会が
必要で 大切なんだな、と思えるようになってきた。

なのに 今年になって 関西のある地域で 地域の役員が出来ない理由を 
ひらがなで書かせられた男性が 自殺してしまった、という記事を読んだ。
「ぼくは、じが よめません。かけません。」って 全部 ひらがなで書かせた
んだって。 どうして? どうして、そう言うことする必要があるの?
書かせる必要は 無いじゃん。口頭で言えば済むじゃん。
代わりに言うのだって 区長さんとかの 大事な仕事じゃん。
皆んなに伝えるのに、ひらがなで 書かせる必要ってあるの?
出来ないことを 晒し者のように見せないと、地域の人たちは 信じないの?
人の嫌がることを無理強いして 何が得られたの? 
それを見せられた皆さん、満足しましたか? 納得しましたか?
やり過ぎだって、思いませんか?

地域の役員は 確かに大変だから、回ってきても、やりたくないと
嘘をつく人もいるだろうね。
でも 本当に出来ない、本当に無理って人のことも 分かってあげないと、
いけないんじゃないのかな。
もちろん、その人にだって 何か手伝って貰える 地域の仕事がある、かも
知れないから 全て免除にする必要は無くて、「これなら出来る?」と
聞いてみるのは どうだろう? 手を使って字が書けなくてもPCなら使える、
そう言う人もいる。口下手で話が出来なくても 絵が上手な人もいるし、
何か ちょっとした日曜大工みたいな事なら 参加できる人も いるかも
知れない。どうして そう言う視点で 物事を考えられないのか、と言えば
そう言う人たちとの交流が無いから、知らないだけなのだ。
その人の出来る事を活かす視点で、少しずつ地域の仕事に参加して貰いやすい
状況を作るのも 地域の役員たちの知恵の見せ所なんだけどさぁ…。

要は コミュニケーション障害なのは 本当は大多数の大人の方であって、
困ってる人とのコミュニケーションの取り方を知らないばっかりに、
色々な行き違いや勘違いやトラブルに発展していく のではないだろうか?

では、考えてみようか。
誰だって75歳過ぎれば、腰は曲がり 膝は痛み、目はかすみ、物は忘れ
隣近所の人どころか、大好きだった人の名前すら 忘れていくんだよ。

えぇ〜と、ほら、あれだよ、あれ!!
わかんないかなぁ。ほら、そこまで出てきてるのに、出てこないよ!!
イライラするなぁ。なんで 分かってくれないのかなぁ。もう!!

な〜んて事を 言うように なるよ、誰でも。
そう言う年齢に 誰もがなるの。今、バリバリ働いてる 30代40代50代の
お父さんだって、そうなるし 美しさに磨きを掛けてる 20代30代40代の
お母さんも、そうなるの、いつかは。その前に死ぬ!って? 無理無理。
そう簡単に お迎えは来ませんよ。じっくりこの世の問題を味わってから
じゃないと「お疲れさん」って言って貰えないからね。

障害のある人たちは、ある意味 若い時から そう言うことが 他の人より
多いんだろうと思う。 出来ない、見えない、聞こえない、わからない。
でも それは 本人の努力で補われてきた。障害のある人たちの努力は 
普通の努力と違う。だって 最初の立ち位置が違うから。
並大抵の努力じゃ、追いつかない。それでも 努力しろ、頑張れって言い続けて
親たちは その努力を強いてきた。
それは、社会が「助けてくれる社会じゃない」からだ。
自分で乗り越えていくしかない。それを 社会も強いてきた。
ずっとずっと 強いてきたんだよ。
そんなの、辛すぎない? 

コロナになって 今までガムシャラに 速さと効率だけを求めて 生きてきた
ことに 少し疑問を持つ人も出てきた。
本当に これで良いのだろうか? こんなギスギスした 無関心で冷たい
社会で 良いのだろうか?と。 良いわけ、ない。良いわけ 無いよね。

「子ども叱るな、来た道じゃ。年寄り笑うな、行く道じゃ。」

子供の頃からお世話になってた お医者さんの所に額装してあった。
そうだよね、子供もお年寄りが困っている事も 自分と同じ延長線上にあると
思うからこそ、思いやりを持って 生きて行かなくちゃならないんだよ。

「明日は、我が身」
障害は、持って生まれた人もいるけど、事故、病気、様々な理由で 途中からも
該当事象を抱えることがあります。そうなった時、自分は関係ないと思っていた
人ほど 苦しみや悩みを抱えることになります。
だから「自分もいつか、そうなるかも知れない」視点での 社会の在り方を
考え、作っていく必要があると思っています。
そうなってみるまで、分からない困りごとは きっと沢山あると思いますが
そうなってからでは、遅すぎる事もあります。だから 考えるんです。

では 具体的に、どうしたら良いのかと言われても 直ぐには分かりません。
すごい悩んでも分からなくて グルグルぐるぐるしてますが、それでも 
自分のできる事を 前述の視点で考え、行動し、自分の生きる方針にしていこう
と思っています。

何か、問題解決する良い方法がある方、ぜひ コメントください。
また たくさん悩んでいる方も 困っている事、教えてください。
私のところを見に来てくれる人は少ないですが、それでも 誰かの目に
とまれば、もしかしたら 何か手立てがあるかも 知れません。
一緒に考えて、一緒に悩んで、一緒に一歩踏み出す、そんな社会が来ることを
切に願っています。
最後まで 読んで下さって、ありがとうございます❤️。


サポートありがとうございます。自分の時間をゆっくり作り出すために、遠慮なく使わせて頂きます🙇‍♀️。