何気ない日常を残すという一歩
日記や写真は、自分の日常を「残す」ものだと思う。
もちろん特別なことを書いたり、撮るのもいいれど、なにより残したいのは日常。
世の中には「幸せ」ってなんだろうという問いがよく投げかけられています。
みんな幸せになりたい。
その人にとって幸せを感じる場面は違うはず。
私にとっての幸せは、なんてことない日々の日常がなにより幸せ。
朝起きて息子の寝息と夫の準備する音を聞きながら微睡む時間
息子がミルクを飲む姿を横で眺める時間
動画を観ながら洗い物や掃除をする時間
休みの日に家族みんなでゴロゴロしている時間
あたたかい湯船に浸かった瞬間
布団にゴロンと横になった瞬間
日常にはこんなにもたくさんの幸せが溢れています。
それもこれも、幼少期から今まで激動に感じていたためかなぁと思う。
阪神大震災
母の離婚
再婚
弟の誕生
救急病院で命に触れる仕事
結婚
妊娠、出産
家族のいる家がこんなにも穏やかで安心できる場所なんて感じたことがありませんでした。
それでも写真は好きで、色んな場所に出かけていっては自分の記憶に残したい物に向かってたくさんシャッターを切った。
でも今は、出かけるよりも日々の中で写真を撮ることが格段に多くなっています。
そして日記も今まで書いてみようと思ったこともなかったのに、ましてや家族のことをnoteに書こうかなんていう驚きの変化が。
記憶に残したい物が現在の何気ない生活の中に溢れているからなんだと最近気づきました。
なんて幸せなんだろう。
私が応援している自分史サイトは、その人の人生感や価値観を形に残して誰でも見られるようにするというもの。
とても素晴らしいサービス。
でも、いざ自分が作ってみる?と思って考えると、自分はそんな大した人生感や価値観を持っていると思えなかった。
なにより、今まで「家族」というものに苦手意識すらありました。
そんな私の自分史なんて。
と。
でも、色んな方のnoteを読んで、コメントでやりとりをしていて…
自分史サイトについても、運営者の智美さんの話や発信を聞いたり、友達の話を聞いたりしていて…
思った。
何気ない日常がいいんじゃないか。
自分史も同じだ。
今までの家族について苦手意識があっていい。
私にとっては今の家族との日常がなにより残したい幸せ。
そんなに大それた人生感や価値観がなくたっていい。
日々のなんてことない暮らしの中で思うことを切り取ることが自分のストーリー。
もっともっと写真で一場面を切り取ろう。
日記を書いてその時の思いや感情を書き残そう。
たくさん思い出を貯金をすればいい。
そしていつか大切な人達に「私の日々はこんなにも幸せだった」と伝えたい。
過去は変えられないけどそれも自分の人生だから、全部ひっくるめて大切な人に伝えられるように。
一歩踏み出して、ひとつずつ、ひとつずつ大切な何気ない日常を残していこう。
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