小さないたずら心が、その危機を救うのだ
プロローグ:
人は基本的に3つの感覚をイヤがっている。
さみしさ、罪悪感、恐怖。
だからこそ大人になって学んだこと、スキル、思考、あり方、身についたものたち。そのおかげで新しい体験も増えた。すばらしいことだ。
と同時に知ってしまったからこそ、そんなものは一旦脳から脇に置いておけたらなあと思うことがある。
何だか純粋な目で周りを見られないことがあるからだ。
そのとき、フッと純粋な感覚がよみがえる思い出がある。
とくに夫婦関係がモヤモヤしているときによく効く(笑)
本編:
「これ、会社で見せたらよー、みんなに結構ウケたぞ」
「えっー! それ持っていったの?」
あれ、持っていったんだ。かなり恥ずかしいんだけど。
だって、あれは……
結婚して27年。
何だかんだでつづいている、我が家のリアルな1シーンだ。
夫とは学生時代からの縁なので、それも足したら30年以上も隣にいることになる。改めて数えてみたら、こんなことになっていた。
二人の間に大きな事件はないけれど、ここまでくると、
もう、倦怠期っていうものが何なのかさえわからなくなってくる。
慣れとは、ある意味恐ろしい。
そんな夫がいつも吸っているタバコがある。PIANISSIMOという銘柄だ。
女性が好みそうな銘柄で、箱の色やデザインもどことなくかわいい。
そしてときどきそのデザインが、さらにかわいさを一面に表したようなバージョンになったりする。
本人(夫)の印象とはまったくちがうので、
「なんでそのタバコを選ぶのだろう?」と、いつも疑問に思う。
選ぶ理由を聞いてもいいのだけれど、日々の生活で、そんなことはすぐに忘れてしまう。
ある朝夫が自慢げに、「このタバコの箱、かわいいだろー」といってきた。
おっ!これはかわいさ一面バージョンだ。
若い男女のカップルが描かれている。
うーん、夫には悪いが、やっぱりそのタバコは似合わない。
「ホントだね、ちょっとよく見せて」
手に箱を渡されたとたん、わたしの中でムズムズと何かが動きだす。
タバコの箱に描かれてカップルのデザインは、本当、ほんわかしていい雰囲気を醸し出している。
夫が横で、あれやこれやと話しかけてくれているのだが、
「ごめんよ」わたしの耳はスルーしている。わたしの中ではそれでころではないのだ。
わたしの感が正しければ、あの部分はあれなハズだ。
タバコ会社としては、ちょっとその状態は惜しいと思う。
でもわたし個人としては、あれであって欲しい。
タバコ会社側はそんな手間がかかること、コスト的にもやらないだろうと予測はしつつ、なぜかドキドキしていた。
思っていた通り!
タバコの箱のふたを開けると、その部分はあれだった。
真っ白かった。
好奇心が動きだす。
わたしが箱のデザイン案を頼まれたら、その部分を真っ白にはしたくない。
白くしておくのはもったいないと思うのだ。
それは、アイスの棒に「あたり」が書いてあるか、
チョコボールの箱の口に、「金のエンゼル、銀のエンゼル」マークが付いているか、そのくらい価値があるかもしれないと、わたしの好奇心が妄想という風船をどんどん膨らませている。
ひとしきり妄想がピークに達したあとは、
もう、夫が早く寝てくれないかなーと思いながら、ひとりでワクワクしていた。
早くあの作業がしたのだ。
あの作業とは、そう、タバコのふたを開けたときに見える空白の部分に、
クオリティーの低いイラストを描くことに他ならない。
なぜならばふたを閉じている状態だと、男女のカップルがお互いに向き合っているイラストが表面にデザインされていて、ふたを開けると首から頭の部分だけが消え、そこに空白の部分が現れる。
言葉は悪いが、つまりふたを開けると、首なしのカップルが向き合っていることになっている。
夫のイビキが聞こえ始め、こそこそ書き上げて、わたしも布団に入る。
こういうとき、わたしの行動は異常に早い。
もっとこの素早さを役に立てられることはないもんかねえ、と毎回思う。
半ば夢うつつで、翌朝の夫のリアクションを想像しながら眠りについた。
「何やこれ?!」夫が一足先に起きて、変な声をあげている。
やった! しめしめ、お楽しみいただけただろうか。
夫はたぶんあきれていると思う。何やってんだかって。
でも顔は笑っている。
わたしもその笑顔を見れて、うれしく思う。
小さないたずら心は、気持ちのよい朝を運んでくれた。
だいぶ長く一緒にいると、夫婦間は工夫し合う、っていうのが必要なのかもしれない。
大きなトラブルはなくても、理由が見つからないモヤモヤ感は、
夫婦間の隙間を広げることもあるのだ。
若い頃のように、お誕生日やら記念日やらに重きをおかなくなってくると(我が家の場合だが)、何気ない些細なことの方が、新鮮さを感じるのはなぜなんだろう?
わたしの作ったいたずら作品を会社の人に見せたことは、「恥ずかしい」と一瞬思ったが、正直、イヤな気分じゃなかった。
自分が不思議な気持ちになっていることを、むしろ楽しんだ感じだ。
「ああーそうか!」
夫が会社の人に見せたその行動を通して、そこにも何かしらのキャッチボールが夫とわたしの間にあったことを、確かに感じたからだ。
エピローグ:
夫婦のコミュニケーションもいろいろある。
小さないたずら心は、歳を重ねても忘れないでいたい。
というか、むしろ率先してやっていこう!
さて、今度はどんなことができるだろう?
「ばあさんは、アホなことやってたなあ」と、彼の些細な想い出になってくれれば、わたしは、いたずらをした甲斐があったというもの。
誰かがいてくれるから、小さないたずらは成立する。ありがたいことだ。
それは間違いなく、わたしの幸せの一部となっている。
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