自分を知るということ
そもそも自分を知らずして
いい人生なんて送れないと思っている。
どうなりたいのか
どうありたいのか
どんな人間になりたいのか?
目指すべき目的地が明確に定まっていないと
今ここからどう歩んでいったらいいのかさえ
彷徨ってしまうのが人間だ。
かれこれ生まれてから30年ほどは
親のせい、
環境のせい、
夫のせい、
子どものせい、
自分は悪くない。
できることはやってる。
悪いのは周りのせいだ。
なんでわかってくれないんだ。
みたいなトゲトゲしたクソ野郎でした。
そしてそんな自分が大嫌いで
自己嫌悪で周りの空気を掻き乱す。
今思い出してもクソすぎてぶん殴りたい。
ふざけたこと言ってんじゃねぇっつって。
ただ、そんな中でも唯一救いだったのは
本当はどうしたいのか、
どんな人間になりたいのか、
そこがはっきりとしていたこと。
だがしかし、
その理想と現在のじぶんとの乖離は
日本とブラジルほどの距離は否めない。
そんな自分が
その乖離を埋めるためのきっかけとなったのが
【自分を知る】ことだったように思う。
まず、
周りのせいにしてる時点で
自分を見ていない。
そこをまず認識することから始まるのだが、
これがまた苦行すぎて禿げ散らかし案件なのだ。
クソな自分と向き合わなければならない。
そこを放棄しては
またクソな自分に逆戻りだ。
自分を知る。とは、
やっとスタートラインに立てる
ということ。
つづく(かな?)