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2021・8月備忘録

8月8日(日)~12日(木)息子の柔道インターハイがありました。

去年から無観客になるだろうと言われていたので、私はなんとしても子どもの試合を見届けたい!その思いで審判員としてなんとかインターハイ会場に入る事が出来ました。

息子は6月に行われた県大会をギリギリで勝ち抜き団体戦、個人戦共に出場権を手にする事が出来ました。

県大会の後は北信越大会があり個人戦-100キロ級でなんと2位入賞!実力を全て出し切りの二位でしたが、決勝は明らかに判断ミスでポイントを取られてしまいました。残念でしたが、本当によく頑張りました!

そしてインターハイを3週間後に控えたある日、監督から連絡があり

「足を捻ってしまいました。2週間位掛かるかもしれませんが試合には影響ないと思います」とのこと。

私はすぐに息子に電話をしました。「これはヤバイ、ただ事じゃない気がする。足は全く着けない」とのことでした。

翌日信頼するチームトレーナー(柔道整復師)にみてもらい報告を受けると「骨折ありそうなので整形でレントゲン撮ってもらいます」とのこと。レントゲンの結果は剥離骨折。現実的には4週間は柔道は厳しい状況となってしまいました。

その晩足が異様な腫れ方をしてきたと息子から電話が。以前にもなった「蜂窩織炎」かも知れないとの事。次の日朝一で監督に話をして急いで緊急医へ。そこでの診断はやはり「蜂窩織炎」。そこから毎日病院へ行き点滴を打ってもらい、1日3回の薬。絶対安静のため筋力、体力が落ちてしまうこと心配したが、その時出来た事は安静にして蜂窩織炎を鎮める事のみ。私が息子にしてあげられることは何もありませんでしたので、面倒を見てくれる先生方や、トレーナーを信じィインターハイを待つしかありませんでした。

大会1週間前に蜂窩織炎が落ち着き、軽めに練習を始めたと言うので息子の所へ行ってきました。テーピング、サポーターを付けてなんとか歩いていました。軽めの打ち込み、投げ込み、寝技の反復練習がなんとか出来る状況。正直インターハイの畳の上に立ってもまともに試合をする事は厳しいだとうなと・・・息子と焼肉を食べて家に帰る道中そんなことを思いながら車を走らせました。

そしてインターハイ当日。色んな事情で息子に選手宣誓の大役が回ってきました。立派な選手宣誓に感動!

そして第一試合が始まりました。息子は大将で出場。先鋒が1本負け、次鋒が1本勝ち。中堅引き分けで、副将はエース対決、ここも五分五分で引き分け。いよいよ大将の息子の出番がやってきました。

親としてはなんとか引き分けて代表戦に持ち込んでもらいたいと思っていました。しかしその戦いぶりは足を怪我してるとは思えないものでした。怪我をしているのは軸足(技に入る時に支える足)なので、技に入る事は出来ませんでしたが頭を使い、足に負担の掛からないように、開始1分で相手から指導を1つ取りました。その後試合は膠着状態に。両者に指導が入り指導ポイントは2-1。あと1つ相手に指導が入れば息子の勝ちでしたが、相手も全国に出てくる選手、その後は互角の戦いで引き分け。叩けるかどうか心配だった息子の足の状態で押し気味に引き分けた姿は感動モノでした。がっちりと固めたテーピングと、この日まで献身的に治療をしてくれたトレーナーの土屋先生に感謝です。

初戦は代表戦に。副将同士のエース対決再び。代表戦は時間無制限でどちらかがポイントを取るか指導差が二つになるまでの地獄ルール。こちらのエースはスタミナ抜群!本戦の終盤に相手が苦し紛れに掛けてきた技をキッチリと返して技有りを奪い勝利!見事初戦突破しました!

二回戦、軽量級のしぶとい選手が揃ったチーム。先鋒優勢勝ち、次鋒、中堅引き分け、副将が優勢勝ち、この時点で2-0。チームの価値が決まった状況で息子に回ってきました。危なげない試合運びで引き分け。チームは三回戦へと駒を進めました。

三回戦、ここを突破するとベスト8。過去の長野県の最高記録に並びます。

先鋒、引き分け 次鋒一本負け、中堅・副将引き分けで大将の息子に回ってきました。開始45秒までに指導を二つ取り、息子には指導1つ。頭を使い考えて戦い残りの時間で両者に指導が行き、息子が一本勝ちとなる計算でした。が、終了までに技を一度も出さなかった両者に指導がいくことなく試合終了。息子の僅差勝ちでチームは1-いの内容差で負けてしまいました。足を怪我していなければ絶対に投げれる相手だっただけに残念でなりませんでしたが、力は出し切ったと思います!

大会3日目。息子の個人戦の日がやってきました。足の状態はと聞くとあまり良くないと。見れば分かります、引きずって歩いていました。

「勝っても負けても今日で高校柔道は一区切り、足がどうなってもあとは父ちゃんが治してやるから死ぬ気でやれ!」と送り出しました。

初戦、五分五分の試合展開でGSに突入。完璧に組勝った瞬間、折れている足で思い切り入った内股で相手は宙を舞い1本勝ち!

鳥肌が立ちました!
二回戦、ゆっくりとした試合展開の中帯取り返し?で技有りを取られて負けてしまいました。
「もう足が動かなかった」と。
息子の親元を離れての6年間の柔道が一区切りとなりました。

あの足の状態で、インターハイと言う一生に一度立てるか立てないかの大舞台で5試合も戦えたこと、本人の一勝の宝物になることでしょう。

しかし、命を懸けて柔道をやってきても、その柔道で輝けるのは
ほんの「一瞬」です。ここから先の人生はもっともっと長いのです。

柔道で身に付けた精神力こそが「人生の糧」となるのです。

息子よ、お疲れ様。

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