はじめまして。
若村紫星(わかむら しせい)と申します。
このページをお訪ねくださり、ありがとうございます。
「自分を愛する」。
わたしがこのテーマを知ったのは、2013年か2014年頃のことだったので、もう10年ほど前になります。
スピリチュアルを知ったのもその頃のことでしたが、必死にアファメーションを唱えたりしていました。
アファメーションとは「わたしは自分を愛しています」など理想の状態を宣言することです。
これをすることで、願いが叶ったり、叶う速度が速まると言われています。
なぜ、これほどまでに、自分を愛したかったのか?
その答えは今なら、わかります。
「小説家になれなかった自分を少しでも許したかったからだ」と。
小学生の頃から文章を書くのが好きでした。いつか小説家になるのが夢で、大学、大学院を親に出してもらい、さらにはニートや引きこもりに近い状態で小説を書くことに集中できる環境や時間があったにもかかわらず、挫折してしまった…。
30歳を過ぎているのに定職にもつかず、
・小説を書かない自分
・小説家になれない自分
・何者にもなれない自分
……こんな自分が生きている意味はあるのか?
罪悪感というテーマが、常にバックグラウンドで流れているようでした。
それでも時々、ふいに甘美な時がありました。
それが「自分を愛すること」を思い出す時でした。
なぜ、『「自分愛」はじめました。』なのか?
「自分を愛すること」の大事さに気づいたので、わたしが最初にスピリチュアルな影響を受けた人に、自分を愛するということに取り組んでいることを告白しました。
しかし、その人から最終的に返って来たのは、こんな言葉でした。
「あなたは、いつも『自分、自分、自分』なんだよ。『自分』というものを捨てて、ひたすら相手を愛さなくちゃいけない。そんなふうだから、いつまでたっても、恋人もできないし、結婚もできないんだよ」
その人からすると、「自分を愛する」なんてとんでもないこと。「自分」という「エゴ」をさらに強化してしまうことに他ならなかったのです。
今でも、「自己愛」と検索すると、「自己愛性パーソナリティ」とネガティブな言葉が出てきます。
長いこと、「自分を愛する」ということについて悩み、試行錯誤してきた自分としては、「自己愛」という言葉が、こんなふうにネガティブに使われていることに納得がいきません。
そこで、「自分を愛する」という意味の「自分愛」という言葉をつくりました。
『「自分愛」はじめました。』のタイトル通り、私が「自分を愛すること」を本格的にはじめたのは、つい最近のこと。40歳を過ぎてからです。
それでも、毎日、「自分を愛する」ことができているなと感じることが増えています。
そして、もし、全ての存在が「自分を愛すること」を実践したら、世界の、いや、宇宙の平和だって訪れるに決まっている!と本気で思っています。
このブログでは、そんな若村紫星の「自分を愛すること」=「自分愛」を通して得た気づきを、エッセイとして綴っていきます。
若村紫星
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