一過性脳虚血発作で入院したお話④

前回は始めての入院食を食べたあたりまで。

初入院の物珍しさで、あれこれ観察したり、初ナースコールでトイレへの付添を頼んだり、お昼ごはんを食べたりと、バタバタと午前中は過ぎてゆきました。

職場への連絡

最低2週間の入院が決まったので、職場に連絡をすることにしました。
職場はブラックとまでは言えませんが、中小企業のため福利厚生関係はあまり充実していません。

病名と病状、脳梗塞の前兆発作で一定の割合で近々に脳梗塞になる可能性が有ること、投薬のため2週間から3週間程度入院の為病欠する旨を伝え、迷惑を掛けて申し訳ないとお詫びをしている言葉を遮って、耳を疑うような声が聞こえてきました。

「パソコンあれば仕事はできるだろ?
 設計とプログラムの業務は病院で進めろ。
 あと、再来週の韓国出張は行ってもらわないと困るから。」

このときの上司の言葉は一生忘れないと思います。
口先だけでも心配する言葉があれば違ったと思いますが、一言も体調を気遣う言葉はなく、スケジュールへの影響だけを大声で話し続ける声を聞いて、わずかながらも残っていた信用も、信頼も消え失せました。

検査色々

そんなこんなで、午後にはカミさんがモロモロの入院グッズを持ってきてくれました。

下着類、タオル、サンダル、歯磨きセット、箸と箸入れ、タブレット端末、充電器、本、飲み物。

夕方にかけてCTで心臓の画像検査、超音波で頸動脈の検査がありました。
超音波検査は半身を指導医の先生が、もう半分を研修医なのかな?若い先生が行って、いろいろ注意や指示をされながらだったので結構な時間がかかりました。

再発作

夕食の後は安静にということで、タブレットで本を読んで過ごしていました。徐々に左手の動きが重くなってきて、2度目の発作がやってきました。点滴を変えに来た看護師さんに、

「朝と同様に、左半身が痺れて動かなくなった様な感じで、あまり言うことを聞きません。」

と症状を伝えるも、

「t-PAを入れているので、今現在これ以上に出来ることはない」

との返事でした。

「このまま麻痺が残ったらどうしよう?」

と考えましたが、根が脳天気なので寝ることにしました。
とはいっても、隣のおじいちゃんが夜通し活動を続けているのと、不安でなかなか眠れるものではありませんでした。

初めての点滴で、自分の体も水分の調節に戸惑っているのか、1,2時間おきにトイレに行きたくなり、その都度看護師さんに付き添ってもらうのが恥ずかしいやら、申し訳ないやらで、トイレに行きたくないなあと思ったものでした。

麻痺の症状は、指先や手の細かい動きには影響はなく、腕や腿などの大きな筋肉の動きが、半分程度しか言うことを聞いてくれない様な症状でした。
翌朝、父と母が顔を出してくれたときも、まだ左半身の麻痺は続いていて、

「動かないのが左で良かった、元々不器用だけど、利き手の右手が残ってるからまだいいや」

などと暢気に話をしましたが、内心はかなり動揺していました。

お昼ごはんにかけて、仕事を休んでくれたカミさんがやって来てくれた頃には、またしても麻痺はきれいに消えていました。

カミさんは、父と母から様子を聞いていたので心配してくれていたのですが、不自由そうな様子もなく食事をしている様子をみて、安心したようでした。

結果発表!

昨日行った全ての検査のデータが出揃って、午後に先生から詳しい説明がありました。カミさんはこの説明にタイミングを合せて来てくれました。

・心臓のCTは異常なし。心原性可能性は低い。
・頸動脈のCTも異常なく、頚動脈狭窄症も問題なし。
・MRIの結果、脳梗塞の病巣もなし

他にもいろいろと説明を受けましたが、概ねこの3つから、ごく小さな脳梗塞が一時的に発生し、短時間で血栓が溶けて症状が消えた「一過性脳虚血発作」と診断されました。

昨日の入院時に「まだ断定はできませんが、可能性が高いのは……。」と告げられた病名が、確定したと言う形でした。

日日是好日

入院初日の夜はなかなか眠れませんでしたが、t-PAの絶大な効果で2回めの麻痺もすっかり消えたので

「また麻痺しても、薬入れてるから長持ちしないでしょ」

と妙な自信もついてきました。

また、夕食前には少し静かな病室に引っ越しになりました。
今度の病室は、リハビリを受けられる程度まで回復した患者さんたちが入っている部屋で、概ね60歳以上のおじいちゃん部屋といった雰囲気。

昼間は誰かしらのお見舞客の出入りが多く、殊に小さなお孫さんたちがくると賑やかで楽しい雰囲気になる部屋でした。

麻痺の症状は2回め以降は再発せず、点滴を落ちるのを眺めながら本を読んだり、スマホをいじったりといった日々を過ごすことになりました。

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