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絵でわかる日本史②

どうも!ハリーです。前回に引き続き日本画を見ていきたいと思います。今回は江戸時代あたりからスタートです。では参りましょう!

江戸時代の美術

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大成功をおさめた狩野派でしたが、ずっと主義思想が変わらないことは歴史からみてありえません。狩野派も当然、主義主張の違いから派閥化していきました。江戸と京都に分かれ、江戸の狩野探幽は余白を重視した技法を推進し、京都の狩野山雪は数学を用いた緻密なバランス、濃厚さを重視しました。江戸の狩野派は幕府の御用達画家となり、京都の狩野派は貴族や皇族、神社やお寺の御用達画家となりました。

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江戸時代初期にはさらに独特な画家も台頭します。大和絵を改良した琳派を生み出した本阿弥光悦や琳派を完成させた尾形光琳、町人に人気な画家 俵屋宗達などがいます。

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江戸中期から後期にかけてはモザイク画の伊藤若冲、「絵×書道×詩」を組み合わせた池大雅や与謝蕪村なども有名です。

他にもまだまだいるので下にリスト化しておきます。

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浮世絵って?

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江戸後期になると「浮世絵」が有名となってきます。浮世絵画家もたくさんいますが、それぞれ特徴が異なります。挿絵として浮世絵を描いた菱川師宣、カレンダーから錦絵という種類の浮世絵を描いた鈴木春信、大首絵という上半身が絵画のほとんどを占めるような大胆な浮世絵を描いた喜多川歌麿が有名です。

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他にも背景が銀の東洲斎写楽、観光スポットを浮世絵にした葛飾北斎、季節の移り変わりを描いた歌川広重、だまし絵が有名な歌川国芳などがいます。

すべての浮世絵でいえることは「比較的安い」「庶民文化 歌舞伎との融合」が流行りの大きな原因となったといわれています。質の良い絵でなおかつ手の届く範囲だったら1枚買ってみたくなる気持ちもわかります。

明治の美術

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明治になると西洋の技術が大量に流れ込んできます。これは美術に関しても同じことです。西洋の画家 フェノロサから学んだ岡倉天心らが司馬江漢、高橋由一、黒田清輝などの弟子をもつようになります。

リアルさと色使いが現代っぽくなってきていると思います。彼らの学んだ技術は平賀源内や杉田玄白の解体新書の挿絵など様々な分野で重宝されました。そして日露戦争終戦後、勝利によって勢いづいた日本は自国っぽさをさらに重視した美術がウケるようになっていきました。

大正から昭和の美術

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大正から昭和の美術は「人のありさま」を鮮明に表現し、多様性が認められるようになっていきます。各々が自分の世界観で好きな絵を描くことになります。

今回は以上です。もっといろいろ勉強してみたいと思った人は僕のインスタへ↓↓↓
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