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絵でわかる日本史①

どうも!ハリーです。西洋画を見た後は日本画も見ていこうと思います。個人的には日本史が復習できたので楽しく学習出来ました。いつものごとく学生さんや日本史が好きな人にオススメな記事になっています。では参りましょう!

日本画の種類

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日本画の種類を聞かれて即答できる人は少ないと思います。しかし実はそこまで複雑ではないのです。今回は大きく5種類に分けました。

ひとつめは西洋画でも人気なジャンル 宗教画です。日本の場合は仏教ですね。ふたつめは物語のストーリーを描いた絵巻です。これも西洋画で登場したと思います。西洋では神話が主でした。そして室町時代ごろに流行り出した「大和絵」というジャンルです。詳しくは解説しますが、印象としては煌びやかです。そしてみんな知ってる 浮世絵です。そして最後は明治以降の西洋画×日本画のような形式となります。

宗教画の歴史

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宗教画が日本文化で活気づいていたのは室町時代までです。まずは仏教の伝来と共に遣隋使や遣唐使が中国やインドの絵画技術を学んで帰ってきます。飛鳥時代や奈良時代まではほぼ隣国のマネといってもいいでしょう。

日本っぽさがでてきた頃は平安時代といわれています。「日本っぽい」ということで「国風文化」と名付けられました。この頃に菅原道真によって遣唐使の派遣もストップし、海外文化よりも日本文化や日本っぽさを重視するようになりました。

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では日本っぽい宗教画とはどのようなものでしょうか?たとえば女性の間で人気となった法華経の世界観として白い肌の仏が描かれました。また当時はお経を写す作業(写経)が天国へのチケットとなると信じていた貴族や平家がわんさかいましたので、お経+宗教画というスタイルが流行りました。

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貴族の時代が終わり、武士の社会 鎌倉時代がやってきます。侍の心をつかんだ宗教画は「リアリティとクリエイティブ」でした。つまりリアルな表情で描かれた仏や山から顔を覗かす斬新なアイデアに満ちた宗教画が流行りました。これは山頂に仏の世界及び天国(極楽)があると信じられていたからだと思います。

一方この頃の貴族は謎に「顔が隠れた仏」を描いた絵画が流行っていました。

余談ですが、当時は神仏習合が主流です。要するに神道の神と仏教の仏を一緒くたにしています。この神仏習合はこれだけで記事が書けるボリュームなので今回は割愛します。興味がある人は僕のマガジン内の宗教分野から見てみてください!

絵巻物をみよう

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つぎのジャンルは「絵巻物」です。今でいうとマンガに近いかもしれません。識字率が低い当時の人々にとって絵付きの物語は絶好の娯楽・教科書といえます。有名どころでは「源氏物語」「地獄の様子」「応天門の変」「鳥獣戯画」などが人気ですね。物語だけではなく、歴史上の事件なども描かれました。

水墨画と大和絵の関係

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南北朝時代に中国から禅宗がやってきました。日本の武家社会でも禅は好評でした。禅も詳しくまとめているのでご覧ください。質素なイメージの禅は絵画も質素です。水墨画といい、墨で描くため白黒で落ち着いた雰囲気が伝わってきます。この水墨画は日本である男によってさらに進化します。雪舟です。彼は水墨画の技法で緻密な風景画を描き、3枚の絵で1つの景色となるような粋な技法も生み出しました。

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水墨画の傍らで人気だったもう1種類の絵画ジャンルがありました。それは「大和絵」とよばれました。大和絵は簡単に解説すると「色濃く・鮮明にきらびやかな絵」です。つまり繊細で質素な水墨画とは正反対の位置づけになるわけです。

しかし日本人はすさまじいですね。双方のいいところを合体する人が現れます。彼らは名字を狩野といったことから、その技術は「狩野派」とよばれました。狩野派のすごいところは動物や人物は水墨画っぽく緻密に繊細に描き、自然物や風景は大和絵のように派手に豪快に描いたところです。「唐獅子図屛風」や「風神雷神図屏風」でわかるとおり、この狩野派は「襖絵」「屏風」で花を咲かせることになりました。

狩野派に対抗した長谷川等伯は繊細な壁紙を描き、狩野派の当主 狩野永徳は空から見た街並みを描きました。

今回は以上です。もっといろいろ勉強してみたいと思った人は僕のインスタへ↓↓↓
http://Instagram.com/jiao_qing.hai

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