詭弁は見抜ける(その3)

 私が『解放社会学研究 35』に発表した論文に対する「反論」動画について、全く「反論」になっていないことを見てきました。特に重要なことは、論文の核心をなすところに関して全く触れず、自分の動画ではしれっと「訂正」をしてさもつじつまが合っているようにしていることです。このことを見るために、動画中で表示されている箇所を黒線で囲ってみました。

タイトルと「はじめに」

動画中で参照されている箇所 (p. 1)

「2 「アイヌ民族否定論」への影響

動画中で参照されている箇所 (p. 5)
動画中で参照されている箇所 (p. 6)

「5 論理の破綻」

動画中で参照されている箇所 (p. 10)
動画中で参照されている箇所 (p. 11)

「5 論理の破綻」、「6 多分野にまたがる攻撃」

動画で参照されている箇所 (p. 13)
動画で参照されている箇所 (p. 14)
動画で参照されている箇所 (p. 15)

「7 科学者が見ないふりをしてきたもの」、「おわりに」

動画で参照されている箇所 (p. 17)

歴史修正主義の特徴は、文献や史料に対して非学術的な取捨選択を行うことによって自分たちの主張が通るように史実を組み替えてしまうことにあります。前回指摘したように、「3 札幌市議会および北海道議会における「アイヌ民族否定論」の公言」「4 引用の省略による主張の改変」「7 科学者が見ないふりをしてきたもの」が、動画だけを見ている人にはその存在がわからないようになっています。「はじめに」の最後にこの論文の全体像を示してありますが、そこも見せていないという念の入れ方です。的場氏は何に対して「反論」したつもりになっているのか、少なくとも論文を読んだ人ならば疑問に思わざるを得ないでしょう。
 それでは順に見ていきましょう。「はじめに」で書いた歴史修正主義という言葉に関するこの論文での扱いと、動画でそれに対する見当違いの批判は既に説明しました。次に、金明秀氏による「アイヌ民族否定論」の分析が動画に上がっています。これは、[1:10:03]から、暴力事件の示談書を出して「交友関係」の問題として紹介しています。加えて、この分析について「はっきり言って、何言っているかわかりません。」と、内容を理解しようともしないことを明言しています。「アイヌ民族否定論」をまき散らしている当事者としての的場氏には理解できなくとも、ここで引用した『レイシャルハラスメントQ&A』(解放出版社、2018)の読者には明快な分析であるものと確信しています。少なくとも私にとっては、この問題の論点の分け方について大いに参考になりました。学術的に価値があるから引用しただけの話であって、論文を批判する際に交友関係を持ち出す必然性は全くありません。そもそも引用したから友人であるというようなことは、一般には成立せず、会ったこともない人の論文を読んで、その主張に価値があると考えるから引用するということは、ちょっと冷静に考えればわかるはずですが、この動画はそういう思考を失うように誘導されています。
 次に、「5 論理の破綻」で参照しているところに注目します。的場氏の著書での記述と、引用元である篠田氏が北海道新聞に書いた記事を比較して、引用が文脈から切り離されていることを指摘しています。しかし、そのことを記した文章である、「これに対して、引用箇所は原典ではどのような文脈で書かれているかを示す。」という説明が動画では抜かれています。したがって、篠田氏は「二重構造説」が成り立つという前提のもとに、近世のアイヌは縄文人の子孫であり、かつオホーツク文化人の影響も受けているということを主張しているのに対して、的場氏の著書では前者を否定しているということが、動画ではわからなくなっています。これこそが、論文でも指摘した「引用の省略による主張の改変」の実践例です。
 さらに著しいのが、「6 多分野にまたがる攻撃」のところです。東北のアイヌ語地名研究で現在でも通用するのは金田一京助氏以降であることを示すために、論文では『北奧地名考』からわかりやすい例を引用しました。ここで挙がっている例は、矢越と知床で、特に知床については知里真志保氏の『地名アイヌ語辞典』の記述を註21に書いています。このような地名が東北にもあって、アイヌ語ではないというのは非常に考えにくいでしょう。単に言語学的なアプローチだけではなく、アイヌ語が指す地形の特徴が北海道と東北で共通していることを山田秀三氏は現地調査を行って明らかにしました。こういうわかりやすい例を出しているのに、あえてそこを動画では省いて、宮城県の登米という地名の話を[0:47:34]からしています。そして、「戦前の金田一の論文を出して私を批判する」と論難をつけているわけです。しかし、既に述べたように、金田一氏の論考が現在でも通用するということが重要であって、その上に知里氏や山田氏の地名調査があるというのは、アイヌ語地名を少しでも勉強したことがある人ならば常識中の常識です。実際、『地理 1999年5月号』に小野有五氏、堀淳一氏、谷川健一氏の対談が掲載されて、次のように言っています。

谷川 多くの地名研究家が厳密と評価するのは、山田秀三さんの方法です。現地を訪れて、地形地名を確認していく。今までのように、非常に恣意的にアイヌ語を解釈しているわけではない。
小野 ただ音が似ているから、ではなくてね。
谷川 現地を確認しないと結論は言えないんだ、ということですね。それも非常に厳密な意味でね。

『地理 1999年5月号』 p. 31

これは偶然なのでしょうが、この対談で例として出てきたのが登米という地名の解釈ですので、それも紹介しておきます。

谷川 文化の問題まで進まなくてはいけないでしょうね。登米(トヨマ)という地名が宮城県の北にあります。あれはトイ・オマ・ナイ(土・ある・川)のことで、ナイは省略されて、トイ・オマがトヨマになったと山田秀三さんは言っています。金田一京助さんも、トイというのは土を意味しているから、土のあるところだという。それは白い土なんですよ。いわゆる珪藻土、食べる土なんです。
堀 食土というんですよね。
谷川 ネギやユリネを混ぜたりして食べるんです。私が戦前にいた熊本では、まんじゅうをつくるとき、普通はあんこをメリケン粉で包んで両側を焼くのですが、あれに戦時中は土を混ぜました。

『地理 1999年5月号』 p. 31

この説明を読んでから動画を見直すと、他民族の文化を語る前には自分の属する文化について知らないと大恥をかくということが身に染みてわかるはずです。
 これ以上書いても仕方がないので、「反論」動画については終わりにします。自分で勝利宣言をするほどバカバカしいことはないので、この文章を読んで各自判断していただければと思います。

2024年5月23日 旭川医大 稲垣

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