詭弁は見抜ける(その2)

前回は、的場塾第32回のうち特にわかりやすいところについて指摘しました。論文の内容に対する批判ではなく、詭弁によって論文の印象を下げようとしているだけに過ぎません。第33回でようやく論文の内容について「反論」を言っています。例によって先に動画を観てしまうと詭弁に引っかかるおそれがありますので、あとでゆっくり味わってください。

ふざけたタイトル画面をよくみると「アイヌ 稲垣准教でも分かる」とあります。准教は准教授の間違いだとして、その前の「アイヌ」というのは第32回の説明書きとつながっています。「自分のアイデンティティであるアイヌを美化したいのか?!」と書いてありますが、私は大阪出身の和人であって、アイデンティティとしてのアイヌという前提がすでに間違っています。加えて、「相変わらず史実を云うとヘイト」と書いてありますが、どこをどう読めばそういう解釈が出てくるのか疑問です。いわゆる「アイヌ民族否定論」の根幹には、2014年に金子快之札幌市議(当時)が言ったように、アイヌは同化してしまって現在はいないという考え方があります。これは事実ではなく、統計にもよりますが少なくとも北海道には1-2万人の人々が自分をアイヌとして認めているという調査結果があり、さらにいえば生活スタイルと帰属意識は別のものだという事実を認められないから「ヘイト」という指摘を受けるわけです。さらには「これが査読論文?!」と書いてありますが、この動画をどれだけひいき目に見ても、論文の主張をまったく崩すことができていません。むしろ論文の核心部から逃げ回って、自分を擁護しているだけのものです。論文の全文は大学の学術リポジトリからダウンロードできるわけですから、それを手元において比較してみるとすぐにわかります。この論文は次の構成になっています。

  • はじめに

  • 1 人骨の形状から遺伝情報を直接扱うまで

  • 2 「アイヌ民族否定論」への影響

  • 3 札幌市議会および北海道議会における「アイヌ民族否定論」の公言

  • 4 引用の一部省略による主張の改変

  • 5 論理の破綻

  • 6 他分野にまたがる攻撃

  • 7 科学者が見ないふりをしてきたもの

この中で「4 引用の一部省略による主張の改変」が「本稿の主題」であることも「はじめに」で明言してあります。したがって、この論文に対して反駁を試みるならば、ここを絶対に外すことはできません。しかし実際に「反論」と称する動画を見てみると、まるでこの内容が存在していないかのような内容になっています。この段階で「反論」ではなく、「言い逃れ」に過ぎないことが容易に想像できるでしょう。論文を読んでいただければわかるように、的場氏の著作において、分子人類学者の篠田氏の講演録から一部を省略することによって、篠田氏の研究成果とは全く逆の話に改ざんしてしまったというのが「4 引用の一部省略による主張の改変」で指摘していることです。それごと省略した「反論」というのは、論文で指摘したのと同じ手口を使って自分の主張が正しいと思わせるだけの話にすぎません。なお、この手口は他のところでも使われていますので、あとで指摘します。
 それでは動画の内容に入っていきましょう。例によって論文の主題とは関係ない話から始まります。引用内容を改ざんするような人が選んでくる題材の意図がどこにあるかは明白で、著者である私の客観性を疑うようなバイアスを与えるものです。科学者とはいえども論文中に主観が現れるのは否定しませんが、それは論文中でわかるように表現されています。どこまでが事実でどこからが主観なのかを区別するというのは基本中の基本です。しかし、この動画を見るような人が論文を読むことは、おそらく想定していないでしょう。論文を読まずに動画だけで判断してしまうような人を対象としているはずです。例えば、私の論文を誰が紹介したかというような情報をあえて動画に入れる必要は本来ありません。加えて、フリーライターの李信恵(リ・シネ)氏の名前の読み方を知らないのにツイートを貼り付けるというのは、あまりにも失礼でしょう。加えて、[0:18:32]から

「歴史修正主義者による先住民族氏への干渉」などと題する論文を発表した。なんてね この人あれですからね クラックの前身であるしばき隊のところで暴行事件,内部暴行事件がありましたけども,その暴行事件の原因となった方ですね。まあその原因は詳しく私も知っておりますけども,もしあれでして知りたい方がいましたらこの人をネットで調べれば出てくるはずですね。

的場塾第33回

と言っていますが、李信恵氏は「しばき隊」の関係者ではありませんし、「暴行事件の原因」というのはネット上のデマです。武蔵小杉法律事務所のサイトに、「しばき隊リンチ・でっち上げ事件」の真相という記事があり、判決文まで掲載されています。名前の読み方も知らない上にデマをデマと見抜けないで動画にしてしまうというのは、情報の精度が低いことを如実に表しています。
 [0:21:38]でようやく論文の冒頭が紹介されます。すぐに気づくことは、的場氏は論文が掲載された『解放社会学研究』からではなく、大学の学術リポジトリに収録してある論文最終原稿を画像化して動画に貼り付けていることです。論文を批判したいのならそれが掲載された学術誌を手に入れて、どのように編集されているかを確認するのは基本中の基本です。実際に掲載されたページ数がわからないと、論文中の文章を指定することすらできません。実際、この動画で紹介されている論文中の文章が全体のどこに位置するのかはまったく示されていません。その上で、次のように言っています。

まず行きましょう 。これはもう論文,実際に入りますよ。 歴史修正主義者によって指導されるもので,アイヌヘイトスピーチはね。歴史修正主義とは学問的な手続きを踏まずに資料を取捨選択して定説を否定する方法論を言う。定説っていうのは否定されてはいけないというね。これ,あの稲垣先生の確固たる信念のようですね。こういうのはあの,イデオロギーですよね。まああの,一度組み立てられたイデオロギーはどんな現象が明らかになってもですね。壊されてはいけないという。

的場塾第33回

しかし、「定説っていうのは否定されてはいけない」という主張はどこにもありませんし、それを「確固たる信念」と決めつけるのは典型的な藁人形論法です。実際に読めばすぐにわかりますが、この文章は、論文中での「歴史修正主義」という言葉の定義にすぎません。多義的に使われる用語を、著者の意図とは異なる意味で理解されたら意味が通らなくなるので、この論文中では意味を限定して使うという宣言であって、私の「信念」とは全く関係のない話です。それに輪をかけて、「こういうのはあの、イデオロギーですね。」と言っていますが、むしろ的場氏が内面化しているイデオロギーを投影しているだけです。実際に、動画を見ていくとそのことが明白になります。[0:22:55]から「反日勢力の”歴史修正主義”批判」というタイトルの画面が表示されます。まず、的場氏から見ると、私のような論文を書いているひとは「反日勢力」に分類されることがわかります。これこそが、的場氏が依拠しているイデオロギーであって、世の中は「普通の人」と「反日勢力」に分かれているという単純な二分法です。国策に従わない人を「非国民」呼ばわりしていた時代錯誤のような話ですが、実際にこういう二分法が通用してしまう程度にはこの国が凋落してしまったというべきでしょう。複雑な世界情勢を理解することを放棄してしまっているかのようです。そしてこの動画では毎日新聞や北海道新聞が「反日勢力」として挙げられていて、「しばき隊」はそこから情報を流してもらえるような脅威として語られる(騙られる)のです。論文の内容に入る前に、私の交友関係について長々と話すのも、「反日勢力」による攻撃の一環としてこの論文を位置づけたいというわかりやすい意図が見えます。そういう目で画像を見ると、歴史修正主義という言葉を使うこと自体が「反日勢力」の証拠であると位置づけられています。実際にはごく一般的に使われる用語であって、私の論文ではその意味に曖昧さが残ることを避けるために冒頭に意味を限定したというだけなのに、です。なお、不適切な二分法を選択させるのも詭弁の一種であることを指摘しておきます。
 前置きがあまりにも長すぎて、論文の中身に入るまでに字数を使いすぎてしまいました。せめて最初のところだけでも「反論」が反論になっていないことをしめしておきます。[0:25:26]から次のように言っています。

まあ確認しておきたいのはね,自分が最初にDNA 分析結果に疑問を持ったのはアイヌが縄文人の直接の子孫であると考えられる,擦文文化人,擦文文化というのは土器や簡単な鉄器作成,蕨手刀,と葬制,竪穴式住居やかまどを全くと言っていいほど受け継いでいないね,アイヌが,ことですよね。そしてこれがミトコンドリアDNAの分析ではちょっとこれは後から来たってことになるし核DNAでもまあいやいやそんなことはないっていう風にもともと縄文人に近いっていうことになる。それから,いわゆるY染色体もね そういう結果の2つが相矛盾するわけですね。その矛盾をじゃあどのように解決するかっていうことは歴史を学ぶことであるわけですから,これはやっぱり両方対立するDNA分析結果をともに尊重したわけで,改変してるわけではないね。そういうことを理解してほしいですね。でこのDNA分析の結果,分かったことは現代アイヌ縄文人のDNAを最も受け継ぐ。これ,尊重してますよ。そのDNAは東北・北海道縄文人よりも関東縄文人に近いということも分かってます。 それから現代アイヌは東北・北海道縄文人の直接の子孫ではなく関東縄文人の子孫である可能性が高いっていうことになりますでしょ。

的場塾第33回

さも自然に疑問が生まれてくるように言っていますが、これは全く後付けの理屈です。「蕨手刀」の話をひとつとっても矛盾があります。これは北海道では擦文時代の遺跡のほかに、オホーツク文化の遺跡からも出土するものです。8世紀ごろの東北地方で生産され、交易によってそれらの地にもたらされたという話を知っていれば、この時代には交易路がすでに確立していたという証拠であると理解できます。現代の私たちが思っているより当時の交易範囲は広く、必要とするものを相互に交換するシステムが確立していたのです。日本書紀の斉明天皇記がよく引用されますが、これも蝦夷(エミシ)や、さらに(大和朝廷から見て)その先に住む人々との交易が行われていた記事と考えればつじつまがあいます。大和朝廷は中国の制度を輸入して作った政体ですから、天皇の威光が及ぶ範囲の先にまつろわぬ民がいて、そこから朝貢を受けるということが威信を高めるということまで真似をしたわけです。なおその建前は明治維新まで続きます。近代国家として蝦夷地を改称した「北海道」を領有するようになったのは明治政府が開拓使を置いたときとなるのもつじつまが合うでしょう。
 DNAの話については、先にミトコンドリアDNAの話を改ざんして自分のストーリーの中にはめ込んでしまった結果、核DNAの研究成果が発表されたときにストーリーが崩壊してしまったと考えるのが自然です。これは論文の「5 論理の破綻」で解説してあります。さらに、私の論文が発表されて、縄文人のDNAを持っていないとは言えなくなってしまったので、「現代アイヌを最も受け継ぐ。これ,尊重してますよ。そのDNAは東北・北海道縄文人よりも関東縄文人に近いということも分かってます。 」という話に変えてしまったわけです。実際に論文を読むと、東北・北海道縄文人と関東縄文人はけっこう違いがあるということまでしか言えないことも既に指摘したとおりです。
 まだ「反論」の最初しか見ていませんが、この後さらに小細工が続きます。機会を見て続きを書くつもりです。

2024年5月22日 旭川医大 稲垣

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