電荷密度波の量子干渉

1 電荷密度波

金属の性質を決定づけるフェルミ面は、相互作用によって壊れてしまうことがあります。たとえば、電子がクーパー対を形成するとフェルミ面にギャップが空いて超伝導状態に遷移することがよく知られています。フェルミ面の波数k_Fの2倍に対応する実空間の揺らぎ、すなわち波長2π/2k_F のフォノンによってもフェルミ面が壊れます。これをコーン異常と言います。3次元的な広がりを持つフェルミ面では、コーン異常の影響はそれほど大きくなりませんが、結晶の異方性が強く、フェルミ面の大きな面積を、波長2π/2k_Fを持つ一つ(あるいは数個)のフォノンによって重ねることができる場合(ネスティング)、温度を下げていくとある温度で自発的にフェルミ面にギャップができて絶縁体になります。これをパイエルス転移と呼びます。パイエルス転移が起きると、この波長 2π/2k_Fで電荷密度の粗密が生じます。これを電荷密度波と呼びます。

2 集団運動(スライディング伝導)

 パイエルス転移が生じると系は絶縁体になります。物質によって、全てのフェルミ面にギャップが開くものと、一部のフェルミ面が残るものがあり、前者は真正半導体のようにふるまい、後者は残ったフェルミ面が金属的な伝導を起こします。いずれにしても、この場合の電気伝導は通常の電子のドリフトによる伝導であり、電荷密度波状態に特有なものではありません。
 一方、電荷密度波を全体で見た場合、これは電荷を運ぶ能力があることがわかります。一般には電荷密度波の波長と結晶の格子定数の間には関係がありませんので、電荷密度波の並進運動に対してエネルギーを必要としないことが想像できます。実際には系の不純物との相互作用によってこの並進運動はピン止めされ、これを乗り越えるだけの電場をかけることで並進運動を生じさせることができます。これをスライディング伝導と呼びます。
 スライディング伝導は、もっとも簡単なモデルでは電荷密度波の初期位相の運動方程式として書くことができます。周期的ポテンシャルを傾けた、いわゆる洗濯板ポテンシャルを、粒子とみなした位相が運動すると考えます。これは古典力学の範囲での記述ですが、バーディーンはこの運動に量子力学的なトンネル過程(ツェナートンネリング)が寄与する可能性を指摘しました[1]。一方で、古典力学の範囲内で、位相をただの粒子とせずに弾性体とみなすことで実験結果が説明できることを、福山らが提案しました[2]。電荷密度波のスライディングがマクロスコピック量子現象であるかどうかが、本研究の背景にある問題提起です。

3 整合・非整合とディスコメンシュレーション

 電荷密度波の波長はフェルミ波数で決まるため、一般には結晶格子の格子定数とは無関係です。しかし、両者が簡単な整数比で表される場合、電荷密度波が整合していると言います。また、簡単な整数比に近いばあい、温度を下げていくと電荷密度波の波長が非整合から整合に転移します。これを整合・非整合転移と呼びます。マクミランは簡単なモデルを使ってこの転移を論じ、整合に転移する直前に位相が長周期構造を持つディスコメンシュレーション状態になることを提案しました[3]。これは実験でも確認され、電荷密度波の物理が、静的な状況であっても豊かであることが明らかになってきました。

4 量子干渉

 ボガチェクは、整合電荷密度波のループを作ると、ループの中のベクトルポテンシャルに応じて位相がトンネルする確率が変化する、インスタントン・アハラノフ・ボーム効果が生じることを理論的に提案しました[4]。これが、電荷密度波に量子干渉が生じる可能性について初めての言及となります。整合電荷密度波は結晶格子との相互作用によってしょうじるため、このような実験を行うためにはループ状の結晶を育成する必要がありました。これは丹田らによってなしとげられ、電荷密度波を生じるNbSe3, TaS3のループ結晶の育成が成功しました[5]。特に前者は整合・非整合転移を起こし、低温では整合電荷密度波になることが知られている物質です。実際にTaS3ループ結晶の磁場応答が測定され、アハラノフ・ボーム効果が生じていることが実験的にも確認されました[6]。さらに、ループ状ではない通常のTaS3ひげ結晶において、角度依存性を持つ負の磁気抵抗が測定され、2次元のアンダーソン局在として解釈されました[7]。これらの実験によって、少なくとも整合電荷密度波は量子干渉を起こすということが明らかになりました。

5 位相と位相差

 量子力学では物理量に位相という自由度がつきます。これは観測することができない量です。電荷密度波のスライディングを位相の運動方程式として考えたとき、位相は、全体の相対位置を表す意味となり、ここでいう位相は量子力学的な意味での位相と異なります。一方で、位相差は観測量となります。ただし、位相差が観測量となるためには多重連結の空間での運動を考えなければなりません。アハラノフ・ボーム効果は最も分かりやすい例です。
 そこで整合電荷密度波において量子干渉が観測された理由について考えてみます。ループ状の結晶の場合には系が多重連結であるのでそれほど不思議ではありません。アンダーソン局在についても不純物による弾性散乱によって生じるループが波動関数を局在させるというメカニズムを考えると、空間的なものとして捉えることができます。
 しかし、実空間だけを考えるのではなく、波数空間を考える必要があることを私たちは提案しました。そもそも、電荷密度波が整合してエネルギーを低下させるのは、電子の運動が高次のウムクラップ散乱によって隣のブリルアンゾーンの状態と干渉を起こすためであることを、リーらが指摘しています[8]。実際に、整合次数3の場合に3次のウムクラップ散乱が整合・非整合転移を起こすことをマクミランが数値計算によって示しています。私たちはTaS3を想定し整合次数4の場合に何が起きるかを解析的に計算しました[9]。その結果、複素オーダーパラメーターを実数に限ると整合エネルギー利得が消えてしまい、オーダーパラメーターが複素数であることがこの現象に重要な寄与をしていることが明らかになったのです[10]。

6 課題

 これまでの研究で、電荷密度波の量子干渉についてようやく手がかりをつかむことができました。しかし、まだ検証に成功した物質は一種類だけであり、理論についても定性的なものにとどまっています。特に、この現象が本当に整合電荷密度波に特有なものかということや、他の整合次数ではどうなるかという点において実験が必要です。電荷密度波の研究はかつてのような勢いや派手さはありませんが、だからこそ、本質的な未解決問題がまだまだ残されているはずです。

参考文献

[1] J. Bardeen, Phys. Rev. B 18, 5560 (1980).
[2] H. Fukuyama and P.A. Lee, Phys. Rev. B 17, 535(1978).
[3] W. L. McMillan, Phys. Rev. B 14, 1496 (1976).
[4] E.N. Bogachek, I.V. Krive, I.O. Kulik, and A.S. Rozhavsky, Phys. Rev. B 42, 7614 (1990).
[5] S. Tanda, T. Tsuneta, Y. Okajima, K. Inagaki, K. Yamaya, and N. Hatakenaka, Nature 417, 397 (2002).
[6] M. Tsubota, K. Inagaki, T. Matsuura, S. Tanda, Europhysics Letters 97, 57011 (2012).
[7] K. Inagaki, T. Matsuura, M. Tsubota, S. Uji, T. Honma, S. Tanda, Physical Review B 93, 075423 (2016).
[8] P.A. Lee, T.M. Rice, and P.W. Anderson, Solid State Commun. 14, 703 (1974).
[9] K. Inagaki and S. Tanda, Physical Review B 97, 115432 (2018).
[10] K. Inagaki and S. Tanda, Physical Review B 99, 249901 (2019).

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