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国際法解説③〜疑わしきは56してOK〜

 サブタイトルを見て、怖いと感じたかも知れませんが、これもまた、国際法の本質の一つです。
 「普通は疑わしきは罰せず」です。どれだけ怪しくても、証拠なしに被告人を有罪にしてはいけません。しかし、国際法、特に戦場のルールたる戦時国際法は違います。「疑わしきは56してok」です。なぜかというと、戦場で頭に血が上っている兵士にも守れるようにできているからです。そうでないと、余計悲惨になります。
 例えばですが、戦争では、非戦闘員の民間人を攻撃してはいけません。これは国際法に定められていることです。では仮に、とある兵士が民間人になりすましたら?戦場では、兵士はわかりやすいように軍服を着なければなりません。しかし、それを脱いで民間人になりすまし、銃を隠し持って敵国の兵士に接近したら?
 敵国の兵士からすれば、接近してきた人間が民間人なのか兵士なのかわかりません。この時に、「兵士だという証拠がない、よって攻撃するな」などと注文をつけるのは正しい事なのでしょうか?あまりにも合理性がありませんし、軍服脱いだものがちになりかねません。「疑わしきは56してok」なら、相手が戦闘員だろうが非戦闘員だろうが、怪しい行動をとった瞬間に攻撃対象にしてokですから合理的ですし、軍服脱いだものがちになりかねません。。戦場では、怪しい行動をとってはいけないのです。
 今、合理性という言葉を使いましたが、合理性や必要性という物を否定しないのが国際法です。  
 そもそも、グロティウスは「戦争そのものはなくせない。だが、その悲惨さを軽減することは出来るはずだ。」と考えて国際法を提唱したのです。 
 彼が国際法を提唱した時代は宗教戦争の時代、つまりは「自分が信じる神と違う神を信じているから」が他人を殺す理由になる時代なのです。「人を殺してはいけない、可哀想だろ、野蛮だろ」なんて主張しても、誰もききません。
 そんな時代だからこそ、「民間人を攻撃したり、民間人から無理やり物を奪ったりすれば進軍速度が遅くなるだろ?合理性がないだろ?だから民間人を攻撃したり、民間人から無理やり物を奪ったりしたらいけないんだ。」と主張したのです。
 裏返せば、合理性や必要性がない物を否定するのが国際法です。例えば、戦場で敵軍の兵士を攻撃することは合理的で必要性があります。しかし、毒ガスといったような兵器を使って攻撃する必要があるでしょうか?あるわけがありません。
 だから、毒ガスといったような非人道的な兵器は使用禁止になっているのです。
 「疑わしきは56してok」という一見残酷な思想こそが、戦争の悲惨さを軽減しているのです。

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