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国際法解説①〜ヤクザの仁義〜

 今回から、国際法の解説をいくつかのパートに分けて解説します。
 サブタイトルの、ヤクザの仁義という文を見て、何か怖い物とお考えになるかもしれませんが、国際法の本質は、ヤクザの仁義としか言いようがないのです。それをいまから解説しようと思います。 


①合意法である国際法と強制法である国内法

 まず、国際法と国内法の違いを説明します。国際法は合意法ですが、国内法は強制法です。
 国内法は強制法ですので、どんな理由があっても守らなくてはいけません。例えばですが、僕が友達に1万円取られたとしましょう。ここで僕は、友達を殴って自力で1万円取り返してはいけません。そんなことをやれば、僕は暴行犯になります。僕は、警察に被害届を出して、友達を行政と司法に預けなければなりません。法を破った人間を自力で制裁して良いのなら、警察や裁判所は必要ないのです。
 しかし、国家には警察や裁判所はありません。例えばですが、例えばA国がB国に対して、国際法違反を行ったとします。この時、A国を制裁するのはどこの誰でしょう?B国です。B国がやるしかありません。逆にB国は制裁しなければ、他の国々から一斉に舐められます。「ああ、B国相手に失礼なマネしてもB国は問題視しないのだな」となります。ヤクザは舐められてはいけないように、国家も舐められてはいけないのです。
 これが、合意法である国際法と強制法である国内法の違いです。国際法違反という無礼なマネをしてきた国には、国際法違反という無礼なマネでやり返して良いのです。

②慣習として定着しているか

 ここで少し難しい話をします。
 国際法は合意法であると同時に慣習法です。誰も守ってないような国際法は、紙切れですので、守る必要はありません。よって、成分化した国際法を、紙切れにさせない努力が国家には必要です。
 わかりましたでしょうか?例え話でもって説明します。
 とある高校のクラスで、学級委員長が「授業合間の黒板消しを、学籍番号順にやろう」と言い出し、みんなで話し合ってクラス内ルールとして成立させたとします。そして、最初の内は皆が守っていたものの、段々やらなくなったとします。
 ここでナァナァのままにしてしまえば、最初に取り決めたルールは慣習として定着せず、紙切れになります。誰も守る必要がないルールです。
 しかし、クラスの誰かが、「俺たちはもう高校生だ。自分達で決めた事ぐらい、守れなきゃ恥ずかしくないか?」と言い出し、他の生徒達が「確かに、恥ずかしいな」と考え、また最初のようにルールを守り出したなら、それなら、最初に取り決めたルールは慣習として定着し、紙切れになりません。クラスの全員が守る必要があるルールです。
 つまり、国際法とは慣習になっているかが大事なのです。繰り返しますが、誰も守ってないような国際法は、守らなくてよいのです。その典型例が、宣戦布告前の攻撃禁止です。1907年の万国平和会議で討議され、「開戦に関する条約」で、宣戦布告前の攻撃が禁止されました。が、誰も守らず、つまり、慣習にならなかったので紙切れになりました。
 ああ、そう言えばですが、聞いた話によると、宣戦布告前に攻撃した事を理由に、相手国の民間人を何十万人も焼き殺した事を正当化している野蛮な国が北米大陸にあり、そして、その国の言い分になんの反論もしていない情けない国が東アジアにあるとか。両国の政治家や学者、役人、法律家達は恥を知るべきです。
 話を戻します。慣習になっているかどうかが大事という話をしました。そしてですが、慣習として確立している事を理由に、成分化していないからとか、国際法にサインしてないからとか、そういう言い訳が通用しない事があります。
 例えばですが、ジェノサイド条約という国際法があります。これは、特定の民族への大量虐殺を禁止する条約で、1948年に発行された条約です。
 つまり、WWII後に出来た条約です。ならば、ヒトラーがユダヤ人に対して行った事は許される行為なのでしょうか?
 また、中華人民共和国はジェノサイド条約にサインしていません。ならば、「我が国がチベットやウイグルでやっている事は問題ない。だって我が国はジェノサイド条約にサインしてないから。」等と中華人民共和国の政治家が言い出したら許されるのでしょうか?  
 答えは「ノー」です。あくまで「特定の民族を大量に殺してはいけません」という常識を確認するために成文化した条約だからです。

 

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