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「高畑勲という怪物」

最近宮崎さんのドキュメンタリーを見てから改めて高畑勲に興味が湧いて深掘りしている

今までもだいぶドキュメンタリーや文献は読んできて知っているつもりだったけども、やっぱりどんどん深掘りしてももっと味が出てくる状態

知れば知るほど底がないというか怪物であると感じる

私は個人的に、もちろん生前も評価された部分はあったけども、彼が真の評価を受けるのはあと50年ほどかかるんじゃないかと思っている
それぐらい一般人と差がある作品作りをしてきたと思う
(私自身もこんなこと言いながらまだ全然わかっていない、でも、そこが深いということはわかりはじめてきた)

なぜかという話だけれども
宮崎駿さんはやっぱり人気もあってわかりやすいから

自分自身だいぶ追いかけてきた

そしてその宮崎さんを持ってしてあれだけの魅力を持ち続ける人

明らかに宮崎さんは高畑さんを自分の先をいく人だと見ている
それは死後も変わらない
そんなすごいことある?と思ったのがもっと深く知りたいと思ったきっかけだ

私も経験があるけども

宮崎さんの界隈はお金や地位や名誉を持っている人を追いかけるという人たちではない
そういったものにそれほどの価値を置いていない
その中で、高畑さんに最大限の価値を置いた

話し方、高畑さんへの想いを語る時の語り方、全てがそれを示している

私も経験があるけど、そういった人に出会ってしまった時に
何が嬉しいかというと、その人に興味を持ってもらえること
対等に(それは無理なんだけど)話をしてもらえること
それが嬉しくて嬉しくてたまらない

そのために努力をする
背伸びをする

そういった存在

高畑さんはそういった巨人であり怪物であったと思っている

でも、こういった人にありがちなのが
理解されない、簡単には理解されない

確かに、宮崎駿はある種 共感心が強く、サービス精神もあったから大衆に受ける作品を作ることができたと思う

しかし、高畑さんは確実にそうではなく自分のために、自分の信念や想いを表現するために、生活というもの、人間というものを正しく描くために全力を注いだ人であり、それがたまたまアニメであったという人にすぎない

もし文章を書くのが得意だったら文筆家になっていたと思う

そして宮崎さんも、彼に触れて
その知れば知るほどの信念の深さと知識の深さに驚き
追いかけても追いかけても捕まらない
そういった魅力に取り憑かれてしまったのだと思う

高畑さんは誰かを感動させたいとかそういう思いではなく
もっともっと高尚な?深いところで人間を描きたい
それを深く深く表現したい
という人であったと思う

そのためにあらゆる文化・歴史・その他現象を学び
それを表現するために使ってきた人だと思う

いつになるのかわからないけども、私たちはいつかその彼の功績に正しく触れる時代が来て、その時に改めて驚くんじゃないかと思っている

しかし、すごい

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