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針葉樹合板のパイオニア・林ベニヤ産業の新戦略

合板業界が、スギ消費量を増加させている(前号座談会参照)。その先駆者として知られるのが、林ベニヤ産業(株)(本社・大阪市、京都・舞鶴と石川・七尾の2工場)。同社が針葉樹合板製造技術を確立したことで、スギ合板の可能性が拓けた。南洋材(広葉樹)から北洋材(針葉樹)への原料転換はどのようにして実現されたのか。そして、今後の原料見通しは?

同社の経営戦略を明らかにすべく、遠藤日雄・鹿児島大学教授が能登半島の七尾工場を訪ねた。出迎えたのは、工場を陣頭指揮する寺西孝順・専務取締役。内藤和行・代表取締役社長も本社から駆けつけた。

南洋材黄金期の中、北洋カラマツへの転換図る

 七尾工場は昭和45年に操業を始めた。当初の原料は南洋材だったが、昭和56年から北洋カラマツを剥き始めた。昭和59年に使用量の過半を針葉樹化し、以降、徐々に南洋材の使用量を減らし、平成17年からオール針葉樹になった。

遠藤 
  南洋材を剥き始めた当時の感触はどうだったか。

寺西
  他社が使用していなかった南洋材だけに樹種が多く太さもバラバラ。おまけに幹は蔓のように曲がりくねったりしていてずいぶん難儀した。でも、南洋材は太くて節が少なく、合板用原料としては最適だった。

遠藤
  それがなぜ北洋材に替わったのか。

  寺西専務は「HOHNEN  GLUEREPORT」(豊年製油(株))という薄い冊子を遠藤教授に差し出した。その中に「合板を原点で考えてみよう」(昭和47年1月5日)という無署名レポートが掲載されている。当時の合板市場は薄物合板が中心であり、厚物合板といえばコンパネ合板であった。しかし、このレポートでは、今後の主流は構造用合板になると指摘し、12㎜厚の構造用合板をコンパネ合板の6割の値段で売れば、合板業界は大きな利益をあげられると予測。そのためには、新たな原料と技術革新が必要であると説いている。レポートの表紙には、林ベニヤの故林一雄社長が「管理者必讀の事」と押印した附箋が貼ってあった。

遠藤
  昭和47年といえば南洋材の黄金時代だ。この頃すでに林社長の脳裏には、南洋材に替わる新たな樹種で構造用合板をという考えが芽生えていたのか。

寺西
  東南アジア諸国が南洋材輸出規制を始めた1970年代後半から、代替原料を模索していた。たまたま視察で訪れた米国ヒューストンのカービー・フォレスト・インダストリー社が植林木のサザンパインで合板を製造しているのを見て、日本でも針葉樹合板ができるのではとのヒントを得たようだ。

遠藤
  サザンパインは米国南部に生育している。日本へ輸入するにはパナマ運河を通過しなければならない。コストがかかる。

寺西
  林社長は世界地図を見ながら、横に線を引けば同じような林相が出てくることに気づいた。米国北西部にマツがあるから、西へスライドさせた旧ソ連のハバロフスクあたりにマツが賦存していると考えた。ここだと3〜4日で日本へ丸太を輸入できる。

遠藤
  林社長が60歳を過ぎて、米と食料品、鍋、釜をもってロシア極東を駆け巡ったことは合板業界で語り草になっている。そこで行き逢ったのが北洋カラマツだったというわけか。その執念、気力、夢を追い続ける姿には脱帽するだけだ。

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北洋カラマツの説明をする寺西専務(左)

針葉樹合板製造へ苦闘、膨大な追加投資も

  南洋材から北洋材への樹種転換に伴い、合板の製造システムを見直したが、ここでも林社長の悪戦苦闘があったという。

遠藤
  北洋材のロータリーレースはどのようにしてできたのか。

寺西
  当初は南洋材のロータリーレースを改良して剥いていたが、太さ12㎝の芯が残る。歩留まりが著しく悪いし、芯の処理に困った。幸い、愛知の名南製作所が国産の間伐材から単板を製造するロータリーレースを試作していた。これだと芯は6mと半分になる。両社で連携しながら昭和57年に針葉樹合板専用のロータリーレース第1号機を舞鶴工場へ設置した。その後さらに改良が重ねられ、今は七尾工場に20㎝の丸太を15秒で剥けるロータリーレースがある。これがスギ合板製造のコストダウンに寄与している。スギを使うためには、膨大な追加投資が迫られる。

遠藤
  市場での針葉樹合板の評価はどうだったのか。

寺西
  「こんなの合板か」とさんざんだった。抜節があるし、売るのに一苦労した。仕方なくフェイス(表板)とバック(裏板)に南洋材を使い、アンコに針葉樹の単板を使ってスタンダードパネル、つまり複合合板をつくったものだった。ただ当時、セキスイハウスが、針葉樹合板を屋根裏や畳の下地に採用してくれた。

年8万㎥の国産材利用、伐採現場の対応に遅れ

  林ベニヤでは現在、2工場で年間8万㎥の国産材を使用している。昨春から目に見えて増え始めたという。国産材の8割がスギだ。内藤社長と寺西専務が、スギ合板製造の現場へと遠藤教授を導いた。

遠藤
  七尾工場では1日どれくらいの丸太を剥いているのか。

寺西
  900㎥だ。内訳は、北洋材700㎥、国産材200㎥。1日3万枚の合板製造になる。製品は厚さ12㎜が約半分を占める。

遠藤
  製品の納入先は?

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内藤和行・林ベニヤ産業社長 

内藤社長
  大手住宅が40%、問屋が60%だ。合板は相場商品だが、長期安定取引を大事にしている。例えば阪神大震災で合板が暴騰した時も、既存のお客様に優先供給した。もう1つは、林社長の「合板を相場商品ではなく工業資材として売れ」という教えを守っているからだ。

遠藤
国産材の工場着値はどれくらいか。

寺西
  4m(末口径14㎝上)中心で約1万円/㎥だ。

遠藤
  スギを確保する上での問題点はなにか。

寺西
  伐採現場が合板バージョンになっていない。3mの柱取り用丸太を平気で出してくるところもある。仕方ないから3m材を使えるように、昭和58年に設置した機械を何千万円もかけてオーバーホールした。また、伐出コストを縮減する努力も足りない。以前、樺太(サハリン)北部で丸太を買い、貨車で南端まで輸送し、さらに船積みして七尾港まで持ってきて1万円/㎥であげたことがある。国産材は、目と鼻の先の山からスギを伐出しても1万円かかる。

北洋材に落日の陰り、目を向けるのはスギ

  林ベニヤは丸太を直接購入している。現地でモノを確かめて買うという林社長の姿勢を継承しているからだ。そのため、内藤社長もロシア極東へ赴き、北洋材の動向を正確に把握している。

遠藤
  北洋カラマツの値段は、2年前には70ドル/㎥だった。

内藤
  今は150ドル/㎥で頭打ちの状態だ。しかし、夏以降、ロシアが値上げ攻勢をかけてくることは必至だ。強気、強気で200ドル/㎥提示もありうるのではないか。

遠藤
  南洋材は価格変動が激しいのに対して、ソ連時代の北洋材はクォータ制(3カ月契約)なので林ベニヤからみれば原料を安定確保できるメリットがあった。しかし、局面がずいぶん変わってきている。

内藤
  中国の台頭も大きい。ロシアから中国へ年間2500万㎥の北洋材が輸出されている。日本はプライスリーダーから完全に転落した。

遠藤
  値上げでロシアの伐採現場は潤っているのではないか。

内藤
  ところが、どうもそうではないらしい。現地のシッパーはプーチン大統領に利益の全部もしくはそれ以上のものをもっていかれるため、経営が成り立たないと悲鳴をあげているのが実状だ。        

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20㎝丸太を15秒で剥くロータリーレース

◇    ◇

 七尾工場取材後、ロシアが針葉樹丸太の輸出に2009年から80%の輸出税を課すという情報が伝えられた。北洋材がプーチン大統領の進める資源外交戦略の一環に組み入れられたことを示唆している。もしこれが実現されれば、日本の北洋材製材業界、合板業界は原木調達方針の大転換を迫られる。当然、日本のスギに目がいくことになる。問題は安定供給能力だ。今、国産材業界に求められているのは、故林一雄社長のような先見の明をもち、執念と気力で資源を開発する人物である。国産材業界に第2の林一雄出でよ!

(『林政ニュース』第313号(2007(平成19)年3月21日発行)より)

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