【400字の独りごと】 梅干しのおはなし
梅干しのおはなし
「遠足に持っていくおにぎりの中身は、梅干しよ」
と、かつて幼い私に教えてくれたひとがいました。
そのあとに、
「梅干しのおにぎりは、腐りにくいのよ」
と、付け加えてくれたあのひとは、今はもういません。
大人になった私は、リュックを背負い水筒をぶら下げ、ちいさな歩みを進める子供たちを見かけると、
「きっと梅干しのおにぎりだな」
と思うのですが、決して口には出しません。出さないのではなく、出せないのです。あのひとに届くことのない言葉たちが、空中を無意味に漂うのを見たくはないからです。
「背中で温められたリュックの中でも、梅干しのおにぎりだから腐らないんだよね」
と言いかけて、ごくりと喉の奥に押し戻すときは、ちくりと痛みが走ります。
私は持て余してしまう。たくさんの、ほんとうにたくさんの言葉を。
物知りで、几帳面だったあのひとは、今はもう、どこにもいません。
(2005年7月15日)
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