ゲーム大会の配信チャットはなぜ荒れるのか?

LJLに代表されるゲームの競技大会の配信チャットは「荒れている」ことがあり、荒らしや罵詈雑言に対する苦言もTwitterなどでよく見かけます。個人的にこの問題はかなり根深く、かつ重要だと思っているので、あまりまとまってませんが思ってることをメモしておきます。

まず、荒らす理由として、

・荒らすことが面白い
・本当に怒っている

の2つが考えられます。

「荒らすことが面白い」は重要で、「面白くないだろ」で検討を終了すると、現実に存在する面白い派の人たちを理解することができません。面白さをさらに掘り下げてみましょう。

・悪口が面白い
・場の空気を形成する、塗り替えるのが面白い

悪口が面白いという感覚や悪口が面白い状況が存在することは、多くの人に同意してもらえると思います(元来、人間の「笑い」には攻撃の機能があります)。
悪口は人を不快にさせたり、倫理的によくない行為とされているので多くの人は基本的には「言ってはいけない」と考えていますが、それは面白みが存在することと矛盾しません。

場の空気の形成・塗り替えは典型的にはコピペの連投に現れています。これはニコニコ動画の「弾幕」と類似の行為で、集団で場の空気を作り上げる行為は、それ自体が楽しいものです。

私自身はニコニコの弾幕は全く面白く感じませんし、動画が見えなくなるので常にオフにしていたのですが、チャット欄でのコピペ連投荒らしとニコニコの弾幕は連続的な行為と思います。
(例えば、配信中に流れる定番のCMのフレーズを皆で連呼するのと、選手の名前を使ったコピペの連投と、ネットやコミュニティの流行語の連投と、全く関係ない配信者の名前の連投は、どこからが荒らしなのかは画一的な基準では判断できないと思います)

最後のパターンですが、チャットで罵詈雑言を言ってる人の中には、本当に怒ってる・嘆いてる人もいます。リアルスポーツの試合ではリアルな暴力を振るう人も発生するので、「熱心さ」が変な方向に発揮されてしまう人はいるのだろうと思います。

これらの3つが複合することによって、荒らし・悪口がエンターテイメントになります。

「悪口」「空気」「怒り」の調合の例として典型的なのは、リアリティ番組の「テラスハウス」で、出演者に罵詈雑言を投げつけてる少なくない人は本当に怒っていたものと思いますが、番組側の意図は怒り自体よりも空気・盛り上がりを作ることでした(そのために動員された感情が怒りでした)。

娯楽としての怒りの扇動はお昼のニュースショーでもよく見られます。

また、実は「悪口」「空気」だけでも強い調合になり、「怒り」は必須ではありません。多くの人は前述のとおり「悪口を言ってはいけない」規範を持っており、「悪口を言ってもいい」規範で塗り替えることには、悪口自体の面白さとは別の面白さがあります。

このように考えると、チャット欄の風紀に関する議論において「空気形成の面白さ」は過小評価されている気がします。空気を形成したり塗り替える面白さは、塗り替えられる対象や塗り替えに使われるもの自体の評価とは独立しています。

荒れにくいチャットは空気が塗り替えられにくいチャットです。例えばアイドル系メジャーVTuberの配信は、チャット欄の大部分が配信に好意的かつ、一部のVTuberは強い(≒ 特異な)世界観を持っているため、通常の悪口に塗り替えられにくいです(「こんぺこ~🐰」とか言ってる中で悪口を言っても馬鹿にしか見えません)。同様に世界観の強い芸能人(例:すゑひろがりず)の動画も荒れにくく感じます。

視聴者の好感・熱意や、配信の空気の強さが合わさってチャット欄・コミュニティの「気圧」が上がり、悪意の侵入に強くなります。

裏を返せば悪口の侵入は、最初は小規模であっても放置すると空気をめぐる戦い、つまりカルチャー対カルチャーの戦いに発展するので最初の芽を摘んでおくのが重要です。一度悪口が蔓延ると、空気塗り替えの戦い自体がエンターテイメントになるので、根絶が難しくなります。最初から徹底的に排除することで「面白くならなそう」にするのが重要だと思います。

「荒らしは放置」の慣習は、口論というエンターテイメントを発生させない点では正しいですが、ゲームの公式大会のような大規模な場では成立しない傾向があります。荒らしに反応する人は必ず現れますし、燃料を供給しないのも無理です。

「荒らしは放置」には配信の運営や演者に過失がなければ、荒らしは勝手に飽きていなくなるという前提があります。つまり、燃料(過失)があれば荒れても仕方がないという規範を暗に含んでおり、大きなイベントであれば過失の1つや2つは必ずあるので、容易にサンドバッグになってしまいます。こうなると過失を掘り出すのがエンターテイメントになるので、デマや陰謀論まで飛び交い「あそこは運営がクソだから仕方がない」となります。

また、昨今は荒らしに親和的な配信者など、荒らしを動員するコミュニティも発達しており、何の過失もなくても空気を塗り替えて遊ぶことが容易です。(荒らしに親和的なコミュニティはニコニコ動画・2chなどの一昔前の「インターネット」を出自とするものが多い印象があります)
動画配信やインターネットコミュニティの大規模化によって、「荒らしは放置」は機能しなくなっています。

まとめると、

・荒らしは空気の塗り替え
・配信の「気圧」が上がれば荒れにくい
・荒らしが侵入しようとしたら、早めに排除

という、多くの人が経験的に把握してそうな結論になりますが、ところでなぜ大会の運営は荒らしコメントを削除しないのでしょうか?

これにもある程度書いておくと、

・人件費がかかるため、人員を割り当てていない
・線引きをするのが難しい

などが考えられます。人件費は1人につき大体3 ~ 50000円/日くらいかかると思ってください。

線引きの問題は正確に言うと「線引きをする裁量がスタッフにない」ことで、ゲームの大会によっては、

ゲームの運営会社 - 大会の運営会社 - 配信の制作会社

みたいな構造になっており、同じ会社内にも様々な人がいるため、チャットを監視してる人が削除の線引きを判断する権限があるかは、チームや会社の構造・文化・人間関係に左右されます。

大抵の場合、大会やコミュニティにとってどのコメントが相応しくないかは明らかですが、トラブルになるリスクも存在しており、また、割り当てられたスタッフがそのゲームのカルチャーに詳しいとも限りません。心理的安全性の低いチームでは、何となく自分の判断で削除して揉めるリスクを背負うより、指示されたときだけ削除しようとなってもスタッフを責めることはできません(仕事なので)。

ガイドラインを整備すればよさそうですが、コメントの適正不適正に関して明確な運用基準を作ることは思ったより難しい上に、その合意を得るのも手間でしょう。

こうして見ると、社内や会社間の風通しの良さが機動的な対応につながると言えます。これはゲームや大会の運営とプレイヤーコミュニティとの対話全般にも当てはまることで、運営会社の社内カルチャーはゲームコミュニティのカルチャーに反映されます。

ここまで荒れる理由と、対応する際の課題を書いてきましたが、全く別のテーマとして「荒らしている人たちはどういうカルチャーを背景にしているのか?」というものがあります。「荒らし」を考察するとき、荒らしの面白さや価値観を把握することは重要です。

これは昨今の「eスポーツ」界を二分する、アングラ文化を尊重する勢力とアングラ文化を浄化したい勢力の対立という話につながるのですが、長くなってきたので日を改めて書きたいと思います。

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