Ukraine War Stories雑感
ロシアのウクライナ侵攻を題材にしたゲーム『Ukraine War Stories』をプレイしたので、思ったことをいくつか書きます。
ゲームの概要
シンプルなビジュアルノベル。テキストを読み進めると選択肢が出現し、選択に応じて主人公や仲間の「心理状態」を示すパラメータが増減したり(大体下がる)、フラグが立ったりする。パラメータやフラグは明示される。
各シナリオの中盤以降は、パラメータやフラグの条件を満たしていないと選択できない選択肢が出現する(条件も明示される)。プレイヤーの選択に応じてエンディングが変化する。
収録シナリオは独立したものが3本。どれも事実を基にした創作で、3つの都市(ホストメリ・ブチャ・マリウポリ)のウクライナ市民の様子が描かれる。所要時間は1シナリオ約30分。合計1時間半から2時間あれば、あらかたのエンディングを読むことができる。
シナリオの感想
内容はいずれも痛ましく、ウクライナ市民の苦しみやロシア軍の残虐性が表現されている。展開にサプライズはなく、心理描写も抑制的。新聞社によるインタビュー記事などと比べても淡白に思えるため、ビジュアルノベルとしての「面白さ」はあまりないと言わざるを得ない。(しかも新聞報道は「創作」ではなく「事実」である。)
恐らくこの「淡白さ」は開発者が意図的に表現を抑制したためと思われる。ゲームデザイナーのOleksandr Sienin氏は、インタビューで「離脱率を下げるために、不快さを抑えた」という趣旨の回答を行っている。
ここからは筆者(私)の勝手な想像・見解だが、抑制的なタッチにはもう1つの意図、あるいは効果がある。それは、フィクションと現実の距離をなるべく縮めることだ。
本作は事実を基に創作したドラマであって、事実そのものではない。これは当然のことで、登場人物の行動や結末はプレイヤーの選択によって変化するのだから、事実であるはずがない。つまり登場人物はすべて架空の人物であり、心理描写もすべて架空である。
もちろん本作のシナリオは「嘘」ではない。大まかな状況設定は「事実」だし、作品内の出来事とよく似た出来事は実際に発生していただろう。この作品は現実世界のさまざまな出来事の要素を抽出し、あり得たかもしれない別の具体的な像を与えている(つまり事実を基に創作している)だけで「嘘」ではない。ストアページにも以下の記述がある。
ただ、このとき架空の出来事を詳しく具体的に描写するほど「抽出した要素」の割合が減り、「創作した具体的な像」の割合が増えてしまう。具体的な描写を充実させればさせるほど、描かれている内容が事実から遠ざかってしまうのだ。
(例外はあるものの)プレイヤーが主体的に行動できることがゲームの特徴なので、どうしても架空の像は必要になる。ゲームデザイナーはシナリオが「嘘」にならないよう「あり得そう」な、言わば最大公約数的な範囲にゲーム内の出来事や表現を抑制する必要があったのではないだろうか。
筆者はシリアスゲーム(教育など、社会的な目的を達成するためのゲーム)にもビジュアルノベルにも詳しくないが、実際の出来事を扱うシリアスゲームにとって「ゲームとしての面白さ」と「事実との距離」のジレンマはアキレス腱になり得る印象を持った。
"Based on real events"
ところで「事実を基にした創作」と何回も書いているが、ストアページでは"Based on real events"という表現が使われている。そして、この記事を書くために調べて初めて知ったのだが、ハリウッド映画では事実と創作のバランスによって使われる表現が異なるようだ(多少検索した程度なので、誤りがあったら教えてください)。
以下の記事によれば、"Based on true story"の場合、登場人物やストーリーラインは事実であることが期待される(例:『シンドラーのリスト』)。一方、"Based on real events"の場合、状況設定は事実だが登場人物や細かな出来事は架空でもよい(例:『タイタニック』)。
"Based on real events"をこのような意味合いで読めば、英語版のストアページは、本作のシナリオが事実そのものではなく、事実を基にした創作であることが分かるように記述されている。
それでは日本語版のストアページはどうだろうか?
この観点で見ると日本語版のストアページには、この作品が事実そのものを描いていると誤認されかねない表現が散見される。例えば、先ほど引用した、"Every novel is a dramatization of eyewitness accounts and real events recorded in the area, condensed into one story."は、以下のように訳されている。
より気になるのは、「このゲームについて」にある以下の記述だ。
直訳に近い筆者訳と比較すると、日本語版のストアページにはかなり踏み込んだ内容が書かれている。「彼らの身に実際に起きた出来事を追体験」という表現は英語版にはない。
言うまでもなく本作で描かれている出来事は「実際に起きた出来事」ではないのだが、SNSやメディアでは本作が実際の出来事だと誤認していると思われる人も見られた。
戦争という政治性を多分に含む出来事をテーマにした作品であり、ゲームデザイナーは作品の「正確さ」を強く意識している。それだけに、この日本語訳はかなり「攻めた」文言であるという印象を持った。
プロパガンダの最先端
『Ukraine War Stories』は明らかに政治に影響を及ぼすことを目的としたゲームであり、ゲームデザイナーもそのことを否定していない。
この点で言えば、『Ukraine War Stories』はプロパガンダを主目的として作られたゲームということになる。このようなゲームは稀であり、『Ukraine War Stories』が日本で受け入れられていることは、歴史的に見て重要な出来事に思える。
また、ゲームはプレイヤー(鑑賞者)の主体性が要求される度合いが強いメディアだ。映像や漫画や小説は「嘘だろう」と思いながら鑑賞することが可能だが、ゲームの場合、少なくとも行動の上では「本当」だと仮定しなければゲームが進行しない。
ゲームデザイナーの視点でこの性質を見ると、ゲームを鑑賞してもらうためには、プレイヤーの思考や行動を誘導する必要あるということになる。小説は「読みたいように読んでください」でも成立するが、ゲームはそれでは成立しない。
つまりゲームデザイナーの持つ技術は、プレイヤーの思考・行動・印象を操作するための技術であって、これがプロパガンダに有用であることは明らかだろう。
ここまで繰り返し述べてきたように『Ukraine War Stories』は自身の「プロパガンダゲーム」としての力の発揮に、かなり抑制的な印象がある。筆者はここに、ゲームや事実に対するゲームデザイナーの良心のようなものを感じる。
もし将来、中国と台湾の間で紛争が発生した場合、ロシア・ウクライナ間の紛争よりもさらに熾烈なプロパガンダ合戦が繰り広げられると思われる。中国は世界最大のゲーム開発国であり、ゲームの世界にも大量のプロパガンダが投下されるかもしれない。そしてそこには、『Ukraine War Stories』にあった抑制が微塵も含まれていない、ゲームデザイナーが持てる「力」を最大限に発揮した作品が含まれているはずだ。
筆者はゲームデザイナーとして、そのようなゲームがどのようなゲームか是非見てみたい反面、ゲームファンとしては憂鬱な気持ちになる。そしてそのとき、『Ukraine War Stories』はプロパガンダゲームの先例として、再び注目を浴びることになるだろう。
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