「桜井政博のゲームについて思うこと」を読んで思うこと

紙の本が売り切れていたので手をつけていませんでしたが、ようやく全部揃ったので読みました。

まず前提として「桜井さん凄いなあ」というのはあるんですが、気になったのが、このエッセイは国内のゲーム開発手法の課題を再生産しているのではないか?ということです。

桜井さんのエッセイには繰り返し登場する課題がいくつかあります。

・新しいディレクターが育たない、現れない
・桜井さんが忙しい
・シリーズもののゲームが増えるなど、ゲームの新奇性が減っている

このうち「新しいディレクターが育たない」ことと「忙しい」ことは同一の問題で「権限の委譲が進まない」という、多くの組織に見られる問題と言えます。

しかし、エッセイで紹介されている開発手法を見ると「そりゃ、育たないのでは?」と思わざるを得ません。キャラクターの操作感を決めるパラメータは重要なので自分が担当する、企画は初期の企画書にすべて落とし込むなど、ものすごく平たく言うと「スター開発者の出力を最大化するための開発手法」と言えます。

このような手法・組織構築をしている企業は多いと思います。利点もありますが、課題として

・スターへの負荷がボトルネックになり、組織がスケールしない
・スター以外の人が育ちにくく、モチベーションが下がりやすい
・ゲームデザインノウハウ、理論の言語化、体系化がされにくい

などがあります。

例えば、よく「海外のゲームは多額の開発費がかけられるから、国内のゲームは同じ土俵では勝負できない」という話を目にします。原神の開発費110億円も話題になりました。

しかし、問題は本当にお金でしょうか?お金で解決するなら100億、200億のキャッシュを出せる企業は国内にもいくつもあるはずです。実際には、月に数十億のキャッシュを生み出している運用タイトルでも、開発チームの人員が利益に合わせて増え続けることはありません。

人員を増やすとコミュニケーションや管理・ディレクションのコストが増え、人を増やしても効果が得られないタイミングがいずれ訪れるからです。個人的には資金が潤沢なチームのメンバーは一定の数に収束するのではないかと思っており、それは150~200、つまりダンバー数なのではないかと思っています。

この組織の限界を突破するには、組織体制や文化が変化し、分散的な組織になる必要があります。「多額の開発費をかけている海外の事例」において真に注目すべきは、チーム組成能力です。

海外の事例を実際に体験したわけではないのですが、海外は国内と比べて「スター開発者」ではなく「チーム全体の出力を最大化するための開発手法」が採られやすいように感じます。

ゲームデザインに関する本を見ても、和書にはプランナーの心構えとして「あなたの作りたいものになんか、誰も興味がない」と書かれていたりします(「ゲームデザイナーの仕事 プロが教えるゲーム制作の技術」から一言一句そのまま抜き出しています)。

これはチームで作業をする上で必要なマインドセットの一端を示していますが、逆の視点で見ると、作りたいものや意向のすり合わせにコストを支払う必要は本当にないのでしょうか?

海外のゲームデザインの本で最も人気があるものの1つは「ゲームデザインバイブル」(The Art of Game Design: A book of lenses)ですが、このような記述があります。

議論や意見の不一致が起こりますが、全員が互いのアイデアを聞いて真剣に検討すれば、チームで協力して大事な1つの目標に向かっていけます。つまり、チームメンバー全員が愛情を持てる共通のビジョンを持つことです。そのためには、コミュニケーションとお互いへの敬意が不可欠です。あるアイデアについて、(表面上は同意していても)納得できていない人がいると感じられたら、他のすべての作業を中止して、その理由を明らかにし、どうしたら同意してもらえるかを考えるべきです。そうしないと、メンバーは密かに方向性に不満を持ち続け、ゲームへの愛も消えていきます。そうなれば、そのメンバーが本来できたはずの価値ある貢献は期待できません。チーム全員が「これが最終案だ」と納得するまで、最終案だと決定してはいけません。

綺麗ごとかもしれませんが「チーム全体の出力を最大化するための開発手法」を志向していることが分かります。

他にもValveの自律的・分散的な組織づくりは有名で、入社マニュアルや開発手法にも表れています。

自律・分散的な開発手法には、必然的に(トップダウン・ウォーターフォールではなく)プロトタイピングを繰り返しながら、知見・共通認識を形成していく反復型の開発手法が含まれます。海外の文献には、プロトタイピングの重要性を指摘しているものが非常に多いです。

「スター開発者の出力を最大化するための開発手法」はスターのディレクションが正しいことが前提なので、プロトタイピングの重要性が低く評価されやすいです。一方、「チームの出力を最大化するための開発手法」は間違わない人間は存在しないことを前提としています。

また、分散的な組織は知見が個人ではなくチームに蓄積されやすく、知見を伝達する過程・目的で体系化が進みます。ゲームデザイン本も和書は独自の理論・哲学が多く書かれており、洋書は知見を体系化する意欲が強いように感じます。

このように、開発規模や知見・ノウハウの蓄積において国内企業が苦しい立場にある根本的な原因は、国内企業の開発手法・企業文化だと思わざるを得ません。(印象論ですが、海外は大規模なタイトルが多いわりに、ゲームデザイナーの「スーパースター」はインディーズタイトルに集中している気がします。例えば、League of LegendsやFortniteのゲームデザイナー個人がスーパースター扱いされているようには見えません)

桜井さんのエッセイは、国内のゲームデザイン関連の書籍・連載のなかで、最も読者数の多いもののうちの1つと思われ、影響力も強いです。エッセイを読み進める中で「こういうこと言ってる人居たなぁ…」と感じることは一度や二度ではありませんでした。

桜井さんの開発手法や哲学、労働規範は素晴らしいと思う反面、これらを「桜井さんは凄い」「桜井さんはもっと休んでほしい」などと表面的に「消費」し、価値観を再生産することは必ずしも正しくないように思えます。

ところで、もう1つの課題である「ゲームの新奇性が下がっている」問題ですが、これは「イノベーションのジレンマ」の問題にそっくり当てはまります。

実は個人的には「ディレクターが育たない」問題の原因はここにもあると思っており、直近だといわゆる「ソシャゲバブル」やスマホアプリ市場の成長によって新しいゲームが生まれるとともに、新世代のディレクターやスター開発者が現れました。

興味深いのは、「新しい」市場・企業の中でも「ディレクターが育たない」問題が言われるようになっている点です。我々は歴史が繰り返される様子を見ています。正直なところ、インターネットやスマートフォンといった革新的な技術による成長は頭打ちになっています(その象徴が変わり映えしないiPhoneの新機種です)。

新しい革新的技術やパラダイムが、AIなのか、開発の民主化なのか、メタバースやNFTなのかは分かりませんが、5年、10年くらいのスパンで新しい流れがやってくる可能性が高く、プレイヤー・ゲームファンの立場としては今から楽しみです。

長々と書きましたが、桜井さんの本は様々なゲームの企画書や、ディレクターとしてのルーティン、数多のゲームの感想などが載っており、ゲームファンとして楽しめる本です。開発者にとっても、批判的視点は必要とは言え学べることも多く、何よりサクッと読める本です。電子書籍にもなっているので、一度読んでみてはいかがでしょうか。(「作って思うこと 2」と「2015-2019」が特におすすめです)


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