スルーされた風景 駐禁の看板から見えるもの
自宅から近くのセブンに行く途中に見かけた看板です。
これは、今はやってませんが、かって和歌山城下で代々続く「島喜」という薬問屋さんで使用されていた看板です。
この家の島安次郎(1870-1846)さんが、何を思ったのか、東京帝国大学機械工学科に行かれたところから物語が始まります。
島さんは大学卒業後、1894年に関西鉄道に入社し、「早風」などで機関車の高速化を追求し、関西鉄道の国有化後は、鉄道院に入省、日本の鉄道の高速化に邁進していきます。
鉄道の高速化には、広軌にしなければなりませんが、原敬内閣が政治的判断で狭軌を採用したため、辞職し、大陸に渡って満州で、「弾丸列車」計画を推進し、その夢を実現しましたが、戦争でその計画も挫折します。
島安次郎の夢は、息子の島秀雄(1901-1998)に受け継がれ、新幹線となって、花開きます。また、孫の島隆(1931-2020)は、台湾高速鉄道に携わり、高速鉄道3代として世に知られています。
特急「あじあ」は、時速130kmで満州の大地を快走した日本離れした列車ですが、植民地支配の産物ということもあり、戦後は不当な扱いを受けていると思います。
『エンジニール 鉄道に挑んだ男たち (1) (SPコミックス)』(池田邦彦 著)
おすすめの本の紹介:『エンジニール 鉄道に挑んだ男たち (1) (SPコミックス)』(池田邦彦 著)島安次郎の偉業を知っている和歌山市民が少ないのは残念だったが、この漫画で救われた気がします。
親子3代にわたる高速鉄道への情熱が、ここより始まったということをもっと和歌山市民は知るべきではないでしょうか。