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私たちの心にはどこか満たされない部分が誰でもあると思います。


テレビを観ながら楽しく笑っている時でも

友達と楽しくお茶している時でも

温泉に浸かって気持ちがいいなぁと思っている時でも

実は心の底では満たされない部分があると思います。

この満たされない思いはなんだろう?
とずっと考えていたんですよね。

子供の頃はずっと寂しくて、
両親が仲の悪い家庭で育っていて、
共働きだったし、誰にも構ってもらえなかった。

だから

そういう幼少期の心の傷なのかな?って思ってました。心理学とか、フロイトとかを調べてしまうと、何でもかんでも幼少期の問題ですねってことになってしまう。

ある程度、年齢がいってくると
好きな異性が出来て相思相愛になって、その傷は埋められたかに思えた。

けど、時間が経ったら「そうじゃなかった」と分かった。
大好きな人は自分のことを何でも分かってくれて理解してくれた!と思った時もあったけど、
所詮、他人。別の人間。私のことを全て理解して、私と同じ気持ちになるなんて不可能だと分かった。

自分のことを全て投げ打って私を愛してくれる人は居なかった。

誰もいなかった。

親でもそんなことはしてくれなかった。

人間はみんなそうだと思う。

自分がお腹空いてたら、他人の事は考えられない。

自分が病気で辛かったら、他人の事を気遣えない。

そんなのが当たり前だと思う。

ただ1人を除いて。

自分のことを捨ててまで私を愛してくれた人が1人いた。

それはイエス様だった。

そういうのは「宗教だから」
自分に利益があるからそう言うのだろうと思うと思う。

けど、宗教じゃなく「真理」だから

だから私はそう伝えたい。

神様を受け入れた時、
神様が喜んで泣いてくださっているのを感じた。私を抱きしめてくださったのを感じた。
涙が溢れた。
体感的に感じた。

気のせいじゃない。

何度も祈った時に答えてくださった。

何度も語りかけてくださった。

包み込んで癒してくださった。

気のせいじゃなく実体験として体感的に感じた。

神様は本当にいらっしゃる。

生きておられる。

人の心の隙間を埋められるのは聖書の神様だけ。イエス様だけ。
(他では決して埋められない穴が人間の心には開いている)

人間は神様の似姿に造られたのだから。

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