見出し画像

「つるかめ助産院」を読み終えて

私がフォローをしているタナオさんが、先日小川糸さんの「つるかめ助産院」という本をオススメしてくださった。早速図書館で借りてきて読んでみた。まずタナオさんにお礼を言いたい。素敵な本を紹介してくださって本当にありがとうございます。

こんな猛暑の中、今日に限っては多分汗以上に涙と鼻水が出たと思う。250ページ余りを一気に読んでしまった訳だが、その間色々なことを思い出し、ずーっと泣いていた。こんな本は久しぶりだ。

マッサージをして施設の方々に喜ばれたこと、その方達にたくさん可愛がっていただいたこと、私が退職する時皆さんとても寂しがってくれて、「大丈夫!あなたならどんなところでもうまくやっていけるから!」と謎の太鼓判を押して送り出してくれたこと、母のこと、実習で出産に立ち会ったことなど、本当にいろいろだ。

今回はこの本を読んで感じたことを素直に書いてみようと思う。

まず最初に感じたことは、「自分があれこれ頭で考えすぎているんだ」ということだった。出産という本能の部分が作品中随所に描かれている訳だが、それとは逆方向にあるいろんな常識や「お金のためにやっぱりちゃんとした職業につかなくちゃ、安定しなくちゃ」という焦りにも似た感情が自分を支配しているということを感じた。舞台である島の人々の営みがあまりにのんびりしていて、お金ではない「豊かさ」が随所に表現されている。私もどこかでこんなふうに生きられたらいいのにと思う反面、世間体を気にして生きているのだと思った。先日一部分だけ金髪に染めたと書いたのだが、これは結構自分では頑張って「頭で考えず、自分の思うがままに行動すること」の決意表明だったように思う。







主人公の生い立ちは『捨て子』というかなり不幸な設定だ。行き場のない怒り、悲しみ、遠慮、嫉妬など様々な感情を妊娠中に味わうことになる。だが、彼女のそれらの感情は、それぞれが違う形で自分の内側に抱いているものであることがわかる。助産師の「先生」には先生の悲しみが、主人公の仲間であるベトナム人の女性には彼女の悲しみがあるのだ。

私はこの主人公たちと状況は同じではないが、それらの感情を自分自身も味わったなぁと振り返った。以前も少し書いているが私は性暴力の被害にあっている。その事実を「なかったこと」にすることで、この年まで生き延びてきた。

一方で「なかったこと」にしてきた反動はものすごく、傷が残らない形での自傷行為を繰り返し、こんな人生なら産んでほしくなかったと母に叫び、自分のことを汚れた醜い存在とみなし、仲良くしているカップルや家族を見るのが耐えられず、チャンネルを変えたり避けるようになっていた。

「自分と同じ目に子供が合うのなら、子供を産まない人生を選ぼう」と無意識で決めていたのだと思う。本当は子供を産んで育てたかった。

私が好きになる人は「私のことを好きではない人」ばかり。だからこれまで恋愛をしたことがない。

「好き」という感情はあるが、どうしても自分を傷つける相手しか選ばなかった。きっとこんな汚れた自分は死んでもいいと思っていたのだと思う。

私はなぜ生まれてきたのか?
本当に祝福されて生まれてきたのだろうか?

主人公が悩んだように、私も同じように悩んできた。

ある日主人公は里親から一枚の「産着」を受け取る。かわいい刺繍の入った小さな産着。自分を捨てたであろう産みの母が、自分のために選んでくれたものだった。

中絶をせずに10か月お腹の中で命を育み、我が子が優しい人たちに見つかりますようにと教会の前に自分を置いた母親。

私は母親になったことがないのでわからないが、きっと私の母も大切に大切に育ててくれたと思う。

産んでくれたことへの感謝を今まであまりしたことがなかった。むしろ、自分ばかりが不幸な目に遭い、なんで?どうしてだ?と恨んだり悲しんだりばかりしていた。何かあれば人のせいにしていた。


私に足りないのは人への「感謝」だった。


この本を読んで、自分が生きていることに感謝し、育ててくれて、そして今も心配してくれている人たちに感謝しようと思った。


命は簡単には産まれない。
数々の奇跡が重なって私はここに存在するのだと、この本を読んでいて思う。


性暴力という事実は悲しいことだ。私の人生にとって最も大きな衝撃だった。今も時々その苦しみは襲ってくる。

今は昔以上に男性が怖いし、noteで見られることも本当は怖い。だがこれを書かないと前に進めないと思ったのである。


それがなかったら自分の人生はどうだったのだろう。本来進むはずだった人生に悲嘆の感情を持つこともある。だが前を向くしかない。

そして悲しんでいるのは私だけではない。
それぞれがそれぞれの悲しみを抱きながら、それでも前を向いて生きているのだ。


主人公は妊娠期間や島での生活の中で、ひ弱で頼ってばかりの女性から、自分に「手当て」の才能があることを見出し、どんどん逞しい女性へと変化していく。

女の人が母になるってすごいことなんだなぁと思う。


私はもう生物学的な母になることは諦めているが、未来の子供達のためにできることはできる限りしようと思っている。人を育てることにはいろいろな形があるのだと思う。


先日お話をした知人の方が、「今も昔もあなたは何も変わらない。いつも一本筋が通っている」と言ってくださった。自分ではブレブレでどうしようもないと思っているが、久しぶりにお話をした方からそう言われたことがとても励みになった。


これまで他人の人生の踏み台でしかなかった私が、自分の人生を生きようとしているんだなぁと感じている。

この本の主人公のように幸せを掴み、いつか私も自分の人生の主人公になりたいと思った。



最後にもう一度。お勧めをしてくれたタナオさん、ありがとうございました。


感謝を込めて。



この記事が参加している募集

#読書感想文

189,330件

サポートしてくださるとめちゃくちゃ嬉しいです!!