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手紙〜親愛なる子供達へ〜

年老いた私がある日 今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい

私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい

あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも私の心を平和にしてくれた

悲しい事ではないんだ 消え去ってゆくように
見える私の心へと 励ましのまなざしを向けて欲しい

楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい

あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ 旅立ちの前の
準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない
足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら

あなたがか弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい

私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど

私を理解して 支えてくれる心だけを持っていて欲しい
きっとそれだけでそれだけで私には勇気がわいてくるのです

あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい
私の子供たちへ 愛する子供たちへ
樋口了一「手紙〜親愛なる子供達へ〜」より

この詩を知ったのは、ELNEC-Jという緩和ケアの看護師養成講座だった。講師の方々がいそいそとティッシュの準備を始めるため、受講生達は何事かと身構えていたら、この詩の朗読が始まった。

受講生全員、そして講師陣も涙していた。
ティッシュは必須だったのである。

この詩は誰が書いたものかわからないが、始まりはポルトガル語だったという。その詩は日本語に訳され、曲をつけたのが樋口了一さんという方だ。

医療や介護現場で働く人はもちろん、ご自宅で介護をされている方など考えさせられることが多く、いつしか「介護の歌」と呼ばれるようになった。


数年前に祖父の介護で様々な問題にぶつかっていた母に、私はこの詩を書いて送ったことがある。イライラした気持ちがスーッと消えていったと話していた。

私も長く病院、ホスピス、介護施設と働いてきたが、この歌を時々思い出すことがあった。

人生で最も楽しかった時代のことをイキイキと何度も語る人を目の前にして、私は毎回初めて聞いたように驚いたり、感心したりした。その人はとても嬉しそうだった。


介護をする、人を看取るということは、簡単そうに見えてなかなか簡単ではない。
これまで沢山のご家族を見てきたが、戸惑う人の方が多いと思う。実際はテレビドラマのようにはいかないのだ。

時には強い口調で叱ってしまったり、イライラすることだってあると思う。そんな時がもしあなたに訪れた時、この詩のことを思い出してほしい。


私はこの詩を読んで思うことは、人間は生まれてから死ぬまで一人ではない、ということだ。
誰かに支えられながら立ち上がり、そしてまた誰かに支えられながら横になる。

単純に、人間とはそういうものなのだなぁと感じている。

親愛なる皆さんに、この詩が届きますように。


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