見出し画像

2019年12月11日

今から2年前の今日、私は東京駅前行幸通りで1人、数百人の聴衆の前に立っていた。

緊張していてもう何を話したかは覚えていない。ただ一つ覚えていること。

本当に汚れているのは(性暴力)被害者なのか?その重大さを野放しにし、無関心が澱のように溜まった社会そのものが汚れているのではないか?


と言ったことだ。

後に報道関係者や国会議員が聴衆の中にいたことをTwitterなどで知った。スピーチ後は放心状態で立ち尽くしてしまった。私のスピーチを見守ってくれたある方から、「頑張った!あなたはかっこよかった。」とメールが届き、ようやく我にかえることができた。

日本では『強姦罪』が明治40年の制定以来、110年を経て2017年に大幅に改正された。それまでの強姦罪の名称は「強制性交等罪」に変更され、被害者を女性に限っていた規定も見直された。さらに、18歳未満の人を監督・保護する立場の者がその影響力に乗じてわいせつな行為をした場合は、暴行や脅迫がなくても処罰できる「監護者わいせつ罪」が新設された。


110年である。


平成の世になっても、明治後期に作られた刑法が適応されていたのだ。

それは女性(または男性)を守るどころか、さらに闇へと突き落とすことがあり、被害にあった人たちは自らを責め、口を閉ざすしかなかった。


男女問わず「他人事」への想像力の欠如、そこから発せられる心ない言葉は、多くの被害者たちを苦しめてきた。


加害者は数年〜十数年罪を償えばそれで終わりかもしれない。または何の罰も受けず、平然と生きている加害者もいる。

だが被害者の苦しみは一生終わらない。死ぬまでこの痛みを抱えていくのである。性暴力が魂の殺人と言われるには理由がある。

被害者は憐んで欲しいわけではない。
もしこれがあなたのお子さんだったら?大切な友人だったら?そしてあなた自身だったら?
そんな想像力を持って欲しいのだ。


私はこの痛みに耐えられず、自分自身を激しく責め、傷つけてきた。それが自分のアイデンティティーになることを恐れた。

その恐怖が頂点に達した時に書き始めたのがこのnoteである。

note上で、順不同で蘇ってくる幼少期からの一つ一つを振り返り、自分自身のアウトラインを再構成する作業を行なっているのだ。

それまで「サバイバー」という言葉がアイデンティティーになりかけていた。だがそれは人生のほんの一部にしか過ぎない。

noteは決して無理をして明るく書いているわけではなく、これが本来の私なのである。面白いことや人をどうしたら楽しませることができるだろうと考え、美味しいものに心躍り、語学と歌が大好きで、繊細な一面がある、そんな人間だ。

サバイバーであることは私のアイデンティティーではない。そしてこれからもそうしない。

痛みや悲しみを自身に内包していることは事実であるが、それが私のすべてではない。この痛みが私という人間に、より深みと奥行きを与えてくれると思っている。

私のことを強いという人もいるがそうではない。

むしろ弱い人間だ。何度も同じことで躓き、倒れる。

だがどこかで信じているのだ。

何度躓いて倒れても、自分の力で立ち上がる力が私にはあることを。


自分への愛、そして信頼。私は大切な人だ。

そう思えるようになった時、あの時逃げられなかった自分をやっと許すことができた。


私はnoteやこの一年で起こったことを通して、自分への愛と信頼をもう一度獲得することができた。

こう言えるようになるまで30年以上を費やした。

そして2年前の私に言ってあげたい。

2年後に違う世界が見えてくるよ、と。


ここで言いたいのは、私のように発信をすることが全てではない。世の中には言葉にすらできない方たちが沢山いる。言うも言わないもその人の意志だ。尊重してあげて欲しい。



私は今後もこうした性差別やジェンダーの問題に関して発信を続けていく。それが私の使命だと思うからだ。


あなたは悪くない、1人ではないというメッセージが、今苦しんでいる人に届きますように。



それは、私がこれまでどんな慰めの言葉より一番救われた言葉だから。


被害にあった時すぐに相談できる仕組みと想像力、そして正しい性教育の確立はこの問題の解決には不可欠だ。そして被害者も加害者も生まない社会の実現に向けて、今後も微力ながら力になりたい。


自分らしく生きる姿が、その何よりの証となるように。



毎月11日のフラワーデモに寄せて…
#WithYou   #MeToo



【関連記事】

サポートしてくださるとめちゃくちゃ嬉しいです!!