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AIDS文化フォーラム、そしてラ・メゾン・ドゥ・ヴィ

この2年、毎年横浜で開催されているAIDS文化フォーラムに参加している。

誰でも参加でき、今年で28回目になる、歴史あるフォーラムだ。

私が参加をしようと思ったのは、2018年に訪れた、ある施設がきっかけだ。


AIDSに関心を持ったきっかけ

「スピーチコンテストに出てみないか?」

当時担任だった英語の先生に声をかけられたのは、高校2年生の時だ。

えーっ?と思いながらも面白そうだし、友達も一緒だし、という軽い気持ちで参加してみることにした。

その時私がスピーチの題材として選んだのが「AIDSと差別問題」だった。

1994年、アジアで初めて横浜で開催されたエイズ国際会議をテレビで見て、私はショックを隠せなかった。
その頃はHIV=不治の病と思われていたし、1980年代後半、日本でもエイズパニックという現象があったことは知っている。
しかし17歳の私にとって、病よりも衝撃だったのが、陽性者への差別の問題だったのである。
なぜ病気であることが差別につながるのか?その当時はゲイという言葉も知らず、病気のことも分からなかったが、それにより差別され、多くの人が二重の苦しみを背負うことに心を痛めた。

高校生が選ぶ題材としてはなかなかハードだったが、そのスピーチコンテストで私は優勝し、全国大会にも出場した。

LA Maison de Vie

それから25年がすぎ、2018年、幸運なことにソシオエステティシャンの関係で、フランスへの研修と国際会議での発表という機会を得た。

国際会議では、日本の超高齢社会における現状、私がクリニック内で行っていたエステティックによりどんな変化が生まれているかを中心に、日本の抱える医療や介護の問題について発表した。

その前後でフランスの色々な施設にも研修に行かせてもらった。

例えばシリアやアフガニスタン、アフリカからの多くの移民・難民を保護し、フランスで生活できるように色々なサポートをしている団体だ。その中に、ソシオエステティシャンがいる。彼女の美容に留まらない精力的な活動に、難民の人たちも少しずつ変化をしていく様子を教えてもらった。

そして最後に南仏・アヴィニョンにあるHIV陽性者のための施設、La Maison de Vieラ・メゾン・ドゥ・ヴィを訪れた。

実はこの施設、故・モナコ公妃、グレースケリーの娘である、ステファニー公女を中心に、篤志家らが作った全て寄付で賄われている施設なのである。

ステファニー公女は、AIDSで友人を亡くしたことをきっかけに、こんな施設を建てよう!と呼びかけ、世界の名だたる企業が賛同して建設された。だからといって滞在者は無料ではなかったように記憶している。わずか15ユーロほどではあったが、ただにはしない、というところに私は社会とのつながりを感じ、彼らを尊重しているように思えた。

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記憶が曖昧になりつつあるが、確か2週間滞在することができ、その中で栄養指導を受けたり、アートプログラムに参加することができる。その中にエステティシャンのトリートメントを受けられるプログラムもあったのだ。この施設の館長は、絶対にソシオエステティシャンを入れようと思っていた、と熱く語っていたことを思い出す。

私はここで実際に滞在されている方と一緒に食事をしたりお話をしたり、トリートメントもさせていただいた。
二人でゆっくり話をした人がいたのだが、私たちの知らない様々な苦労をされてきたのだな、と感じた。

別れの時、なぜかただ手を握りあっているだけなのに、お互いに涙が溢れてきたことを思い出す。

私は病気のことを憐れんだのではない。

その人はきっと遠い日本から来てくれてこうして会えたことに感動したのだと思うし、私もここでこの方たちに会えたことが嬉しくて涙が出たのだ。

そこで17歳で感じた、あの時のスピーチとリンクしたのだ。

HIVの差別って本当にもうないのだろうか?こんな素晴らしい施設であっても、フランスにいる患者さんの6%しかまだ利用できていないとのこと。安らげる場所が必要なのはなぜなのだろう??

そんな思いを抱きながら、帰国したのである。

ボヘミアン・ラプソディの影響 

2018年、イギリスのバンド・クィーンのフレディ・マーキュリーを描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」が日本でも大ヒットした。クィーンを全く知らなかった私でさえも3回映画館に行ったくらい、最後のライブ映像は迫力があった。フレディがメンバーにHIVと告白するシーンがあったが、実際フレディはAIDSで亡くなっている。

あの映画の大ヒットの影響で、AIDSという病気を初めて知った若者がたくさんいたこともテレビで知った。

これは国立感染症研究所のリンクである。日本では、2013年をピークに減少傾向にあるものの、毎年HIV新規感染者が報告されている。

ただ薬の進歩により、不治の病から「ともに生きる疾患」になったのだ。薬をきちんと飲めば、ウィルス量をコントロールし、日常生活ができるまでになっている。
フランスで出会った方の中にも、薬によりAIDSの発症を抑えることができていると言っている人がいらっしゃった。

でもHIVと聞くとやっぱり怖いし、まだ不治の病だと思っている人もいるかもしれない。

フランスの施設で出会った人たちのことを忘れないために、そして自分自身の知識もマインドも毎年アップデートするために、私はAIDS文化フォーラムに参加することに決めた。

バラエティー豊かな内容

■”文化”の2文字

なぜAIDS”文化”フォーラムなのか。それはフォーラムを医療や福祉の問題だけではなく、HIV感染者やAIDS患者を病気と共に生きる人間としてとらえること、そしてすべての人間が、HIV/AIDSに関わりを持ちながら、日常の生活・社会的活動に関わっているという側面を大切にしたいという考え方で「文化」の2文字を使ったのです。「文化」の2文字を入れたことで、フォーラムの開催プログラムの幅は大きく広がることができました。
(AIDS文化フォーラムHPより抜粋)

AIDS文化フォーラムは、偉いドクターが出てきて難しい話をするわけではない。主催する先生は、コンドーム柄のネクタイをつけて、中学校や高校で性教育の活動をされている岩室先生だ。一度以前働いていた病院で講義をしていただいたが、非常にユニークな先生だった。

HIVだけでなく、セクシャリティーや性感染症、お坊さんの性教育など、本当に内容豊かだ。ちなみに2年前はAV男優さんがパネリストとして参加して、熱く性感染症に語っていた。

いろんなセミナーにも参加できるし、すごく勉強になる。

昨年は全てオンラインという異例のことだったが、自宅から参加したくさん学ぶことができた。

差別を生む社会

HIVは、今は治療薬もあり共に生きる時代になった。

でもAIDSに限らず差別の問題はどうだろう。

昨年から猛威を奮った新型コロナウィルスは、色々な差別や偏見が私たちの中に残っていることを浮き彫りにした。
そしてアメリカのBLMやアジア人への差別など違う形で存在することに気付かされた。

差別とはなぜ生まれるのか??

その問いは17歳の時から私の中で変わっていないような気がする。

そんな思いを新たに、今年もAIDS文化フォーラムに参加しようと思う。今年は【プリズン・サークル】の上映も決まったそうだ。これは絶対に見たい!
この映画については、また改めて書きたいと思う。

今年も自分をアップデートするぞっ!

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