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みにくいアヒルの子はいつか飛び立つ

私は人生の大半を『ブス』という言葉を言われて育ちました。

それでも家族からはそんなことを言われたことはなく、母はいつも田舎の子が着ないような子供服を着せてくれ、小さい私に自分の好きな服を選ぶ時間をくれました。
兄からは「お前は背格好がいいから宝塚の男役みたい。」と言われてちょっと嬉しかったり、祖母が小さい頃から「髪が本当にたくさんあって綺麗だから、ばあちゃんの鼻のあぶらをちょいとつけて梳かしましょう。」と言ってくれました。

ただ言葉というのは残酷なもので、親戚や同級生、年下の従姉妹たち、はたまた知らない人からずっと『ブス』と言われていました。そして性暴力の加害者から顔を笑われるという最悪の環境にいました。

今なら絶対アウトですが、私の周りではそれが当たり前だったのです。

だから私は自分がブスなんだと信じてずっと生きていて、鏡を見るのが怖い時もありました。それはフランスに留学するまで続きました。

フランスに行って驚いたことは、フランス人が私の豊かで真っ黒な髪や肌のキメ、ちょっとした所作を羨ましがることでした。
サロンのボスが「zoéからはいろんなことにzenを感じるの。」とお客様に自慢げに話しているのを聞いて驚いたものです。(*zenは禅のこと。アジア的な静けさを表す言葉として当時フランスでよく聞く言葉でした。)

その頃から私は美に対する意識が変わったと思います。

私は日本でいう、いわゆる『美人』ではありませんし、男性に全く好かれる要素はないです。別に男性に好かれるために何かやるわけではないですけど。

ただ最近歳を重ねた自分がすごく好きです。若さにもあんまり固執していません。

小さい頃に祖母が褒めてくれた髪はいい感じに色が抜け、クルンクルンでしっとりしてきました。先日美容院に行ったら、「髪の状態が良過ぎて誰かわからなかった!」と言われました。今はパリジェンヌ風に髪を無造作にまとめたり、色々なアレンジを楽しんでいます。

顔の造形は生まれつきの部分であり、これはどうにもなりません。

ただ後天的に得られる美しさやセンスっていうのはあると思います。

私は自分が触れた芸術、音楽、出会った人、環境によって自分という原石がちょっとずつ磨かれていったと思っています。

『ブス』って言葉はおそらく私の顔に対して投げかけられた言葉だと思いますが、人って顔だけではなくて服装やスタイルやその人のちょっとした仕草も重要な要素ですよね。私はその部分をこれからも大切にしていきたいです。
私は自分の体型も好きですし、なんならちょっとぽっちゃりしてきた今の自分の顔も好きです。

私がいつも思うのは、小さいお子さんはかわいいかわいいって周りの人が声をかけて欲しいということ。人間は容姿だけではないけれど、必ず自信になるし、生き方で容姿はどんどん変わっていきます。

私のこのヘンテコな人生が味となって、いつか表情に反映されることを願って。

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