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いつでも起点は自分
シリウスのミカエル:
話している中で、僕はよく「他の人のことはどうでもいい」というような言葉遣いをするけれど、これは無関心とはまた別の次元の話なんだ。
言い換えるなら、「他の人のペースに巻き込まれない」かな。
誰かが困っているからって、自分も同じ状況に転がり落ちる必要はないよね。
共感というのは一緒に沼に沈んでいくことじゃなくて、その時、適切だと思う道具 (例えば、浮き輪とかロープとか) を使って、その人を助けてあげることだ。
道具は、必ずしもモノだとは限らないよ。もちろん。
そしてこの時、
「自分で掴める? 握り方から教えてあげようか?」と過剰な親切をはたらくのが、相手の力をも奪ってしまう「憐れみ」で、
自分が投げたロープを相手が掴んでくれる、その力が相手にあるということを信頼しているのが、共感した↑で、必要な手助けをするということなんだ。
相手に過剰な心配をかけると、相手も自分も疲れてしまうよ。
自分は自分のところにいないとね。
私:そんな達観した精神状態まで行くには、どうしたら良いの?
シリウスのミカエル:
自分に正直でいること。
自分の考え方や感じ方と向き合えば向き合うほど、感覚が洗練されてくる。
嫌なことをやり続けて自分をいじめていると、感覚が鈍って周りの人のことも大事にできなくなるよ。
人によっては「いやだ」と声に出して誰かに言うことが、ものすごく勇気のいることかもしれないけどね。
そうやって自分を大切にしていると、他人からの過剰な依存を必要としなくなる。
無理して周りの注目を集めなくても、自分に自信が持てるようになるからだ。
その時、「憐れみ」が消えて共感が生まれる。憐れみが共感に進化する。
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