富士吉田が生んだスター、志村正彦に会いに

志村さんの没後から、10年が経とうとしている。
今もなお、彼の作ったバンドに、音楽に魅了され続けている人がたくさんいる。
彼らはとてもたくさんの人から愛されているし、その愛をしっかりと音楽で返してくれる人だ。

ふじさんホール。
ここは、2008年5月31日にTEENAGER FANCLUB TOURの追加公演、つまり志村さんの地元で行なった凱旋公演の会場だった。
当時は富士五湖文化センターという名前で、富士山と忠霊塔が描かれている立派な幕があり、開演前に大地讃頌が流れていた。

2019年7月6日、土曜日。
分厚い雲と、細かい雨が降る富士吉田で、CHRONICLE TOURとデビュー5周年ツアーをまとめた映像作品「FAB BOX Ⅲ」の先行上映会である上映會が開かれた。

まずは、レーベルのディレクター、今村さんが登壇。
当時23,4歳だった今村さんは、フジファブリックのデビュー当時からソニーへ移籍するまで、ずっと制作を務めてきた。
同世代だったメンバーそれぞれを当時のあだ名で呼びながら(志村さんをむらし、金澤さんをダイちゃん、加藤さんをしんたん、山内さんをソウくん)、バンドのこと、今までの経緯などを話してくれた。
確認用のハンディカムに残っているものや、中也さんが遊びにくる感覚で回していたカメラのオフショット、音はそこまで良くないけれど、できるだけ多くの映像を残し、OFFICIAL BOOTLEGとして10年、20年後も出会う人がいてほしいという願いから、今回の映像化に踏み切ったとのこと。
正直、志村さんが亡くなる2009年の映像を世に出すことを前向きに考えられなかった今村さんは、志村さんの家族と何度も話し合いを重ね、思いを決めたという。

当時の演出と同じく大地讃頌が流れ、富士山と忠霊塔が描かれた幕が上がる。

映像はメジャーデビュー直前から始まり、各メンバーへのインタビューを織り交ぜながら、時系列順に進んでいった。
約430分の映像を、この日のために編集し直したものだという。

デビュー当時のインタビューで、特に印象に残ったのは、「フジファブリックの良さは続けることで絶対に伝わるから、できるだけ長く続けていきたい」と続けることの大切さを話していた山内さんの言葉。
見た目は少し違えど、今でも彼は同じことを言っているのを思い出した。

メジャーデビュー直前の映像から、志村さんの生前最後のツアーまで、彼らはずっと音楽と真摯に向き合い続けていて、自分たちが作った良いと思うものが、お客さんにも伝わったなら尚良しという姿勢で、活動を続けているようだった。

メジャーデビュー後、彼らの音楽はどんどん認められていって、会場も徐々に大きくなり、作品もコンスタントにリリース、海外でのレコーディングまで達成している。

確認用のハンディカムの映像が混じっていることもあり、映像には自分がそのライブにいるかのような臨場感があった。
その時々の反応があって面白かった。
フロアにいた人の手が一斉に上がったり、それぞれが思い思いに踊ったり、当時、新曲として披露されていたあの曲は、今ではライブ定番曲になっている。

「虹」で空を持ち上げるのは、今でもライブでやっているのでちょっとジーンときてしまった。

冒頭で志村さんが言っていた、「気の休まるときなんてない」という言葉は、彼にとっては幸せなことだったのかもしれない。
「楽しくやっているように見えるかもしれないけど、喜びなんてものを感じるのはほんの一瞬だけ」とも話していた。
それでも「音楽をやり続けたい」という。

とことん真面目なバンドだな、と思った。
メンバーみんな表現の仕方は違えど、同じベクトルに進んでいる。

ストックホルムでのレコーディングで、毎日長い時間メンバーと一緒にいて、「俺らかなり仲良いと思います」と言い切っていた志村さんの嬉しさが隠しきれていないあの顔。
最後の方はかなり疲れているように見えたけれど、良いチームとの出会いなど、現地での経験を経て、ようやく「CHRONICLE」という大作が完成したのだった。

そういう知らなかった部分をたくさん見られたけれど、今続いているフジファブリックと全部繋がった。
メジャーデビューから5年間の間にたくさんの曲を作り、かなりの数のライブをこなし、人と出会い、別れ、バンドとして着実に進んできた軌跡を辿った2時間だった。

そして、同時に開催されていた、路地裏の僕たちのみなさんによる志村正彦展。
ギターや帽子、洋服はもちろん、赤ちゃんの頃の写真から、保育園のときの作品、私物やファンからの手紙など、幅広いものが展示されていた。
小さい頃の志村さんの可愛さにはびっくり。
あと、とんぼを見つめてる志村さんの写真は、美しすぎた。ツイッターで調べてみるとそう思った人は少なくなかったみたい。笑
亡くなる直前には、富士急でスケートをしていたり、笑顔の飲み会の写真もあって、本当に楽しそうだった。
急に亡くなってしまうなんて、誰が想像できたのだろう。

数ある絵や手紙の中でも、特にお別れの言葉は胸が締め付けられ、思わず涙が出そうになった。

それに加えて印象深かったのが、メレンゲのクボさんのエピソード。すべてニュアンス的なもので、正確な言葉ではないけれど、
「志村は、掴み所のない人だった。でも、そこを無理に掴もうとしなかったからか、志村は心を開いてくれたような気がする。だから同じマンションに引っ越してきてくれて、お互いの家をもっと行き来するようになった。
志村は優しかったけど、優しさをあまり見せない人だった。
でも、僕が音楽をやめようとしたときに、いつかフジファブリックが大きい会場にゲストでメレンゲを呼ぶから、と説得された」、という。
ニュアンスだけでしか覚えていないので、少し違うかもしれないけれど、2人の友情は並大抵のものではなかったことが分かる。
心なしか似ているような気もするし。
富士急でクボさんが「バウムクーヘン」を歌ったとき、正直志村さんかと思ったのは、多分似ているから。
顔がとかじゃなくて、雰囲気とか空気感とか、そういう類のもの。

また、展示会ではフジファブリックが取り上げられた地元の新聞などのコピーも配ってくれた。
花火を打ち上げるための募金をすると、下吉田てくてくマップ〜志村正彦編〜という手書きの地図と志村さんのポストカードがもらえた。
地図をよく見てみると、志村さんが通っていた保育園や、遊び場、通っていた駄菓子屋の跡地、帰省した際に行った居酒屋など、こと細やかに記されていた。

きっと、志村さんが富士吉田をとても愛していたから、今もなお地元の人から愛されるバンドでいるのだと思う。
ダンボールで手作りされた文字や、案内の看板、所々に愛を感じることができた。

フジファブリックは、志村さんと山内さんの声で線引きされてしまうことも多々あると思う。
それは仕方のないことだと思う。
わたしは、山内さんがフロントマンを務めてから、「TEENAGER」というアルバムを聴いて、フジファブリックというバンドの魅力に気付いた身なので、志村さんのことは映像の中でしか見たことがなかったし、特に今回映像化される辺りの年代の映像は、ほとんど初めて見た。

今回のイベントは、志村さんがフロントマンのまま、終わったと思う。

午前の部にはメンバーが来ていたとの情報があったけれど、彼らが登壇することはなかったし、そのようなアナウンスもなかった。

志村さんの意思を引き継いで、フジファブリックを続けるという決断をした今のメンバーによって、今もなおバンドは続いている。
それは本当に大きな決断だっただろうに、「志村くんが作ったフジファブリックというバンドを、志村くん以外の人が終わらせるなんてできない」という強い気持ちのおかげで、続いているから出会えた。
今でもフジファブリックというバンドを見ることができる。
いつの時代のフジファブリックもわたしは大好きだから、上映が終わったと同時に、想いがどっと溢れてきて、胸が熱くなって仕方なかった。
ありがちだけれど、本当にありがとう、という気持ち。

帰りは、志村さんが大好きだった吉田うどんを食べて帰ってきた。
最寄りである月江寺駅には、TEENAGER FANCLUB TOURのときと同じ横断幕がかかっていて、「夢よ叶え!聴かせておくれよフジファブリック!」という文字が大きく掲げられていた。
よく保管されていたな、と思うのと同時に、あのライブの意味の大きさが分かった。

富士吉田という場所を選んで、今回の上映會をやってくれてありがとうございます。
そして、いろんな人の思い出や想いがたくさん詰まったFAB BOX Ⅲという宝箱を開けるのを、心から楽しみにしています。

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