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臨月直前、初出産、コロナ禍のアメリカへ飛んだ理由✈️

渡部カンコロンゴ清花です。

ちょうど出産から1ヶ月。
新生児と共に、いつが昼なのか夜なのか、今日が何曜日なのか全然わからない日々にどっぷり浸かっています!

ある1日を切り取ると、おっぱい11回あげて、げっぷ出なくて毎回奮闘して、おしっこで9回おむつ替えて、7回うんちでおむつ替えて、5回吐き戻して着替えさせて、風呂入れて、抱っこで寝たのに布団に下ろすとぎゃん泣き!を4回やって、縦抱きスクワット作戦で筋肉痛というところで日付が変わる。こんな感じです。

子育ての始まりは、24時間営業で夜勤と日勤を繰り返す、想定を越える戦闘体制でした…!


そして、数時間ごとにこき使われるおっぱいは、ついに流血事件を経験し、サランラップ作戦が導入されたりと、30年弱ほぼ何の役にも経ってなかったにもかかわらず、いきなり大活躍MVPです。



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さて、そんな出産を今回アメリカで迎えることになりました🇺🇸
いまもまだ、アメリカ滞在中です。

日本で臨月近くまで通っていた助産院から、目前でプラン大変更。
大好きだった助産師さんたちにお別れを告げ、コロナの影響でガラガラの飛行機で渡米。


この決断は、自分にとっても私たち夫婦にとってもかなり複雑で大きな決断で、悩んだり考えたり受け止めたり心配になったり前向きに捉えたり、を繰り返してのものでした。

だから、その理由を書き留めておこうと思います。

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あまりにも不確定要素が多くギリギリまで決めきれず、産休に入る34週(国際線に乗れる最後の週?)の渡航になりました。

ちなみに臨月とは、こんな感じです↓↓↓

・腰痛と恥骨痛と息苦しさで数時間ごとしか寝れない
・お産に向けて骨盤がゆるゆるガタガタで子鹿(ゴリラ?)のような歩き方
・目がすぐ疲れるし痛いのでスマホや本もきつくてラジオばっかり
・何を食べても胃もたれ
・肺が子宮に追いやられていて酸素が入ってこない
・膀胱も子宮に相当追いやられてるのでくしゃみで毎回大変なことに(笑)

移民の友人が撮ってくれるということで、最後の元気を振り絞ったマタニティフォト!(妊娠前からプラス13kgでした・・・)


さて、渡米の理由としては、息子のアメリカ国籍取得が、夫のアメリカ永住権取得にとってプラスの影響を与えるということ。
(アメリカは”出生地主義”といって、出まれたの国の国籍を与える法律です)


コンゴ民主共和国出身である夫は、抽選で米国グリーンカードをゲットし、2018年に日本から米国へ渡航しています。

このグリーンカードの抽選って、ものすごく倍率が高いんですよね(私の日本人の友人からは落ちたケースしか聞いたことがないです)。

「まさか自分が得られるとは思わなかったけれど、世界のどこかに、自分が安定・安心して所属できる場所が欲しいんだ」というのが、結婚前の当時の夫の考えでした。


なぜか。


夫の出身・コンゴ民主共和国(下記DRC)からは、長年の独裁政権下の弾圧・政治情勢の不安定などで今も多くの人が国外に逃れています。
平和活動家たちが殺され、女性が性的暴行を受け、若者たちが理由なく拘束されることが続いてきました。

やっと近年、大統領が変わり、変化の兆しが見えつつあるものの、まだまだ政治情勢は落ち着かず、諸外国や民間企業ビジネスも深く絡み合う鉱物紛争により、地域によっては、国を逃れてる人たちが帰国をしても安全かどうかは確かではない状態が続いてます。

最近も、一日に数百人が殺されたというニュースがあったり。
まさに、今のミャンマーもそうですが、世界にはコロナを上回る危険や不安の中に人々が生きる国や地域が、依然としてたくさんあります。


そんな混沌の中からで数年前、夫も祖国をいったん後にして日本へ。
とはいえ、日本では非常に不安定な法的地位しか得られない日々を数年間送る中で、米国永住権を運良く得られた(夫に言わせると”Only God knows”)彼は当時、今度は日本からアメリカに飛びました。


グリーンカードを得られると、6ヵ月以内にアメリカに入国する必要があります。
そして、5年経つと米国市民権を申請できるようになります。

私たちが話していたのは、彼は5年間継続してアメリカに滞在し(お互いたまに行き来して会ったりはしつつ)、市民権を取得して、それから安定したパスポートと帰属先を持った状態で、今後の人生を生きてゆこうというプラン。


ただ、昨年、私のアメリカに滞在中に妊娠が発覚したことや、当時の私のメンタル状態が不安定だったこともあり、日本に一緒に戻ってくることになりました。


しかし米国永住権を得たにもかかわらず、ずっと海外にいるということは許されていないのです。

ビジネスや観光で、短期で出ることはもちろんOKですが、米国外に滞在する場合は6ヵ月ごとにアメリカに戻ってくる必要があります。(ちなみにTravel permitというのを取れると2年に伸びる可能性もあり。ただ移民局に問い合わせても、永住権を失いたくなかったら2年戻らないのは危ないね〜と言われて、正確なところは分からず)


なので今後は、家族で日本で暮らすとしても夫だけは基本6ヵ月毎にアメリカに戻り(これは短期の滞在でOK)、永住者の法的地位をキープし、その先のステップ「米国市民権」を申請する必要があるのですが(そうするとやっとパスポートを得られる)、このように出たり入ったりしているケースに関しては、市民権取得が10年かかった友人もいるということ。。。
なんとまあ長いこと。

10年間行き来を繰り返すって、精神的にも経済的にも家族みんなにとってめっちゃコスパが悪い。
半年ごと休みを取れる仕事なんてあるのか?


日本では配偶者としての在留資格あるからいいじゃん?とも思うかもしれませんが(そして私も当初そう思ったりしたのですが)、いつ戻れるか分からない祖国のニュースが日々入ってくる中で、一生安心して使えるパスポートと、安心して所属できる国がある私とは全く状況が異なるのだなということを、いろんな話をする中でお互い理解をしてゆきました。


さて、そうなると、この10年間の渡米のタイミングで子どもがちょうど大きな病気をした、とか、次の妊娠で緊急入院が被ったとか、本人が怪我したとか、想定できないことが起こり渡米できないと、容赦無く永住権資格が失われる懸念が浮上。

ただ、子どもがアメリカ国籍になる場合は(その父親、になるから?)その資格喪失のリスクがなくなるらしいのです。
(依然として、市民権が取れるまで行き来をしなくてはならないことには変わりないのですが)


ということで、家族が安心して一緒に暮らせる未来の状態を考えた時に、確約されたBestな選択肢はないのだけれど、まぁいまある中でbetterな選択肢を選んでみようという結論に至っての渡米となりました。


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とはいえ、こちらは臨月目前!
心配ごとはたくさんありました。

助産院で相談し、病院で相談し、州政府の役所にも電話をかけ、保険の仕組みを調べ、現地の病院は臨月で突然くる妊婦さんを受け付けてくれるのかな、短期でどこに住もう、なに食べて生き延びる?かかる費用は?なにより重傷者も死者も増えてくアメリカのコロナ状況、私の今回のビザ(アメリカで暮らす予定はなかったので配偶者ビザは申請しておらず今回も短期のESTA)、そして、もちろん体調も検討して、悩みに悩んではいたのですが、飛行機に乗れるのが妊娠34週まで。


先が決まらない状態というのは、人間、心が不安定になるものです。普段わりとポジティブな私も、頭ではこの複雑さを理解していても心がついていかないことや、前日決めたことを翌日それでいいのか改めて悩み直したり、OKと言われていた書類にNGが出たり。

それでも、ギリギリのところで判断材料が揃い、えいやーと渡米をすることになりました。



心配だった飛行機✈️は、

コロナでガラガラなので、シートを全部占有して横になれたし、後ろの席にいた日本在住スイス人のお姉さんがメディキュットを貸してくれたので足は浮腫まなかったし、定期的に歩き回って、妊婦は数十倍なりやすいと言われていたエコノミー症候群にもならずに済みました。

ただ今回は機内食のワインおかわりを我慢してオレンジジュースをもらました。(マッシュポテトも、美味しくておかわり!)

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しかし、医療介入のない、なるべく自然なお産で母体を育てて、と助産院に通っていた私。
アメリカは日本よりも、帝王切開への切り替え判断が早いときき焦り、その確率も高いと聞きびびり…


結果として、母子共に無事に、今日で1ヶ月を迎えることができました!


今回の件で、夫とは本当にたくさん話をしました。
むしろ、お互いが感じてる不安や感情をとことん共有できたのは本当によかった。


法的・制度的なことに関わる話し合いだけではなく、お互い何を感じてるか、仕事に対してどう考えてるか、今後のお金のこと、生活のこと、夫にとっては異国である日本での生活について、私にとっては異国であるアメリカでの出産について、家族としてこれからどこでどうやって生きてゆきたいか、仕事と家族のバランス、子どもは何人ほしいか(ちなみに夫は9人兄弟。笑)、自分の祖国や家族に対して考えてること、将来子どもになにを伝えたいか、私たちの周りにいる同様に祖国に帰ることのできない友人たちのこと…


「僕は生まれた国を間違えたんだ」いう言葉を、バングラデシュの紛争地でも、パレスチナから逃れてきた青年からも、ジンバブエから香港に命を守るために飛んだ友人からも聞いたことがあります。


自分の子どもを産むいまになって、彼らのお母さんたちはどんな思いで、そのとき彼らを産んだのか考えてしまう。

生まれた場所を間違えたなんて、そんなことを誰も思わないでいい世界になってほしいと心から感じます。


パスポート、ビザ、保険、在留資格、医療…
アメリカでは、移民として暮らすことの複雑さを短期コースでひととおりあたふた経験させてもらいました。

移民局と先の見えないやりとりをする、自分の人生にも関わる結果をどきどきしながら待つ、在留資格に悩む、あなたのビザじゃダメと電話を切られる、難しい専門用語がわからない、自分には適応されない制度にぶつかる、トランプさんからバイデンさんになったことで急に変更になった手続きに驚く…


自分が今回こういった過程を実際に経験しながら思ったのは、日本に生まれ育ち、国籍も戸籍もあり、世界最強のパスポートをもつ私は、移民難民問題を勉強してたって携わってたって、本気で自分ごととして捉えたことは、これまでやはりなかったのかもしれないな、ということ。今も、自分が所属する国という基盤を失った人と同じ感覚が完全にわかるわけない。わかるよ、なんて安易に言うのは違う。でも、理解しようとすることはできる。


だからこそ、働く組織のビジョンでもある、「自らの境遇にかかわらず、共に未来を築ける社会」を作りたいなといつも思いながら、国境や国籍ってなんだろう。安心して所属できる基盤ってなんだろう。生まれる場所や国って、本当に運なのか?こないだ日本で生まれた友人の赤ちゃんも、無国籍にならざるを得なかったよな…と、自分にコントロールできない制度や現状を目の前に生きる友人たちを改めて思い返し、その中でも前に進もうとするエネルギーに私は勇気をもらっていることを思い出します。


そして家族の理解も深まったのは事実。
結婚やライフイベント、生や死に関わる出来事は、お互いの価値観や大事にしたいこと、譲れないことなどについて、とことん話す機会をくれるものですね。

そしてそして、イレギュラーで不安だらけの産前産後を先輩ママパパであったり、妊娠をサポートする関活動をされてる年上の友人(と呼ばせてください!)が、本当にたくさん気にかけて頼らせてくださいました。感謝しかありません。


人生、これからも複雑なことはあるでしょう。
でもみんな生きてるだけで複雑なものです。

でもどこかで、この経験も生きるはず。
難しいと嘆いていてもしかたないので、もうこれは、カンコロンゴ家の大冒険と呼ぶことにしよう。

子どもが大きくなったら一緒に話したいことも増えました。


さて、いよいよ帰国まであと1週間。

私は日本のパスポート、夫はコンゴのパスポート、息子はアメリカのパスポートで帰国です。
ちょっと普通とは違う家族のカタチですが、無事に国境を越えて帰国できることを願って。

私たちを親にしてくれてありがとう。
ここからが子育て本番ですね。
私たちなりのマイペースで頑張ります!

日本は桜の季節でしょうか?
大事な友人のみんなに、会えることを楽しみに。


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