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オリンピック目前の日本で、出入国管理法が変えられようとしている〜改正か改悪か〜

国会で、入管法改正案の審議が続いています。

もともとあった入管法(正式名称は「出入国管理及び難民認定法」)を改正しようという法案ですが、本日5月8日には、強行採決される可能性もあるということです。

しかし、反対を訴える市民や専門家の動きが加速しています。


国会の前で先週、高校生たちが抗議活動をしました。
顔を出して記者会見で訴える仮放免の人たちや、何度も声明を出してきた弁護士さんたちがいます。
野党議員からは、3ヶ月前にこの改正案の対案が提出されているし、1ヶ月前にも、まさに収容施設で命を落とすことになってしまった人がいます。


死亡したこの元収容者・スリランカ人のウィシュマさんは、日本で子どもたちに英語を教えたいという思いで来日しましたが、日本語学校に留学中に同居していた男性からDVを受け、退学をせざるを得なく在留資格を失ったそうです。
収容施設内で20キロも体重が減り、吐血・嘔吐、健康状態の悪化を訴え外部の病院に入院することを求めていたにもかかわらず、十分な治療もなく収容が続けられたことが原因だったと指摘されています。


入国管理局や収容施設で何が起きているのでしょう。
日本に暮らす外国人が何に直面しているのでしょう。
何がそもそも問題で、何が変えられようとしているのか、私たち「日本人」には関係ないことなのか、採決されてしまう前にちゃんともう一度考えなくてはと思って書きます。

偶然この記事を目にしてくださった方も、ぜひ一緒に考えていただけたら嬉しいです。

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まず、この改正に影響を受ける外国人の中でも、難民申請中である人たちが最も恐れているのは、
3回目の難民認定申請が却下されたら、祖国への強制送還ができるようになる」ということ。

ここで大事なのは、自分の国を逃れただけで難民になれるとわけではないのです。広い意味では、危険を逃れ故郷をあとにせざるを得なかった時点で「難民状態にある人」になるわけですが、逃れた先の国で、審査をされて認定されて、はじめて「認定された難民(認定難民)」になるのです。

だから、日本にやってきた「難民状態にある人」も、日本政府に対して難民として認定してもらうための申請(難民認定申請)をし、あとはひたすら待ち続けることになります。その長い待機の道のりの中で、送還される可能性が出てくるというのが今回の変更点です。

世界には日本も加盟している難民条約というものがあります。
祖国での危険や迫害の恐れから、どこか別の国に逃れ難民申請している人に対して、その結果が出るまでの間、危険があるかもしれない祖国に返されることは国際ルールで禁止されています。(ノン・ルフルマン原則

しかし、今回の改正では、難民認定が2回却下され、3回目の審査も却下された暁には、日本政府が強制的に送還できるようになります。
それでも送還を拒む人に対しては、刑事罰を加えることもできるようになるということなのです。

強制送還とは、帰国を望まない人を国家が強制的に送り返すこと。
しかし「帰らない」ではなく、「帰れない」理由のある人たちがいます。
帰れないから難民申請をする人たちが、帰らないから強制送還をするというのは、本末転倒になってしまいます。



難民申請を1回目却下され、2回目も却下され・・・
「難民」として認定してもらい、安心して日本で生きてゆけるという希望がどんどん失われてゆきます。
次の結果だって、きっと難しいだろう、と。
難民申請した人たちのうち、1%未満しか認定されないという日本の現実は、難民申請者だって知っています。
だからといって、祖国を出てきたいま「難民になる」以外の選択肢がない。

一昨年、晴れて「難民」になれるまで10年もかかった男性の話を聞く機会がありました。もちろん、彼も認定されるまでの道のりで、不認定になる経験をしています。
私たちの父親くらいの年齢のその男性は、「私の人生はこれからです」と言っていました。

もし、今回の法案が採択されたら、彼のような人が、10年の難民審査の道のりで、強制送還され殺される可能性が出てくるということなのです。
適切に審査がされなかった場合、強制送還した後に、失われるかもしれないその命に誰がどう向き合えるのでしょう。

今回、3回目の審査でも不認定だったら送還されることに焦点が当たっていますが、3回目のずっと手前で、希望を失い心身ともにボロボロになってる人たちだって大勢います。

日本でひたすら待ちながらボロボロになっている人たちを、彼らが最も「危ないから帰れない」と言っている国に帰す、それはやはりあってはならないことなのです。

4月5日には、国連人権理事会からの特別報告者4名が、日本政府に対して、政府の「入管法改正案」が国際人権法に違反しているという共同書簡を送っています。


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そして2点目。
在留資格のない外国人に対し「監理人」の指導・監督下のもとで生活させる「監理措置」という制度が新設されるということです。

今は存在しない新しい制度なので、実際にはどう運用されるようになるのかわかりませんが、収容施設の外にいる親族や友人、支援者などが「監理人」になることを条件に、収容されていた人たちが、収容施設の外で生活できるようになるとされています。(相当な釈放金が必要なので、とはいえ出られるのは一握りとも)

そもそも、入国管理局の収容施設とはどんなところで、なにが起きているのか、足を運ぶことがまずない日本人にはあまり知られていません。
在留資格を持たない外国人を収容する施設が、全国にあります。

収容された多くの人が鬱になり、みるみるうちに痩せ、精神を壊し、自殺や死者も出ている施設。この20年で20人の収容者が命を落としています。

長期の収容に抗議しながら亡くなっていった人たちの中には、難民申請中で母国に帰れない、だから日本で安心した生活をしたいと訴え続けている人もいました。

命を落とすまでいかなくとも、収容者の容体が悪化し、救急車が収容施設のすぐ側まで来ていたにも関わらず救急搬送が拒否されるなどの出来事もありました。


私が面会でアクリル板越しに会う人たちも、見るたびにどんどん痩せていったり、車椅子でしか動けなったり、精神的に追い詰められ視線が合わなくなったりしています。


来日した空港から、そのまま収容施設に直接送られる人もいるのです。
安心安全だと思う日本にようやくたどり着いたと思ったら、連れて行かれたのは収容施設だった、と。
彼らが言うのが「なぜ収容されているかわからない」「いつ出られるかわからない」「外にいる家族に会いたい」・・・

無期限の収容は、人間から生きる希望を奪ってゆきます。


ということで、「なにがなんでも収容施設の外に出たい」という切実な思いが、現在収容されている人にはもちろんあります。
そして、そもそも帰国できない人を無期限収容することに人権上の問題があり、国連にも指摘されています。


けれど、この改正案が成立したとて、実際のところ、健康保険もない、就労許可もない状態で、収容施設から出されて(「仮放免」という在留資格がない状態です)、いったいどうしろというのでしょう。

働いてはいけない上に、病気になっても病院にも行けません。

そしてそれを「監理」するのが、支援者や友人の役割となるそうです。
対象者の日常生活を監視・報告する義務を負うことに。

子どもの薬を買うため、暖かい服を買うために日雇いバイトで働いたら?
その罰は、本人とその「監理者」に及びます。
市民が市民を監視し国に報告する仕組みが収容施設の外に作られる、それは「収容されているよりマシだね」と単純に喜べるものではありません。

それよりも、世界を見渡しながら、難民として認定されるべき人を適切な仕組みと機関によって認定できる制度に是正してゆくことが必要なのです。

よく、批判だけして対案がないのはよくないと言われますが、その点などが盛り込まれた野党案(野党6党・会派)が2月に提案されています。

野党案で提案されているのは、法務省から独立した難民保護のための委員会を設置することや、収容の上限を設け収容の可否を裁判所が判断するという仕組みなど。詳細はこちらから読めます。


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実は、他の国に逃れていたら難民になれたかもしれないのに、逃れた先が日本だったから難民になれない状態の人だって大勢いるのです。

「同じ地域から、同じ理由で逃れた兄弟や従兄弟たちが、他国ではもうとっくに認定されていて、大学に通ったり仕事をしたり家族を呼び寄せているにも関わらず、僕だけ日本でひたすら認定されるのをまだ待ち続けている」という人もいます。

例えば、ミャンマーから逃れた人たちを、難民として認定した国(しなかった国)を比べてみましょうか。2016年、ミャンマーから世界各地に逃れた人は、90.3%の割合で難民として認定されました(21,431人)。その年、日本では650人のミャンマー人の難民申請がありましたが、認定されたのは0人でした。(UNHCR Global Trends 2016より)

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こうした差を数字で見ると、彼らがいかに認定されることに希望が抱けないことが歴然としてしまいます。

スケジュール帳の6ヶ月先以降は予定を入れないようにしているという人もいました。難民申請中に半年ごとやってくる在留資格の更新。これが更新できるのかもわからない。「できない約束はしないように、半年以上先のことは考えないように生きている」と20代の青年がいう。

難民として認定されるという希望に望みをかけたい。
でも、その望みが1%にも満たなかったら?
あなただったら、私だったら、そこに希望を持ち続け今日を生きられるでしょうか。

今日にでも、強行採決されようとしている入管難民法の改正案。

入管の裁量や権限がさらに大きくなり、ただでさえこれまで苦しかった人たちをもっと苦しめる可能性が出てきます。だから多くの人が反対をしています。改正すべきはそこではなくて、これまでの難民認定のやり方を改善し、帰れない理由のある長期にわたる収容者が日本社会で人間らしく生活できる方法を作ることです。

論点がまとめられている動画をシェアします。この動画の後半には、顔を出して自分の声で現状を伝える難民申請中の人たちの記者会見があります。


【さて、私たちに何ができるのか】


1年前、検察庁法が改悪されそうになったとき、SNSをはじめとする世論の盛り上がりで廃案となったこと覚えていますでしょうか?
その後、改正された法案が再提出され、可決に至りました。
今回ここまできてしまっている入管法改正の流れも、世論が大きな関心と反対を示すことで、覆る可能性だってあります。

例えば、議員さんに直接メッセージや意見を届けることができます。

オンラインで署名もできます。

いま話題になっているキーワードを検索してみることも、新聞記事をSNSでシェアすることも、入管に面会に行くことも、家族で話題にすることもできます。

外国人は、有権者ではありません。
だから、これまでの入管法や今回の改正案が直接に影響を及ぼすだろう人たちは、投票ができません。
選挙権がある人が、どんな観点を忘れずにいたいかを胸に留め、それを実現してくれる候補者に次の選挙で投票することも必要です。

日本人じゃなかったから、ということで失われた命をなかったことにしないためにも、各所で上がっている声をなかったことにしないためにも、この記事を読んだ方が、ぜひ小さなアクションをひとつでも起こしてください。


私なりのアクションが、いろいろ悩みながらもこの記事を書くことでした。

これを読んでくださった方に、次のアクションを託したいと思います。

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さて、最後に、ずっと変わらない低い難民認定率や収容問題とまたちょっと違った角度でこの課題を考えてみることもしてみたいと思います。

私は、NPO法人WELgeeという団体で、こうして命の危険を感じ、祖国を逃れて日本にやってきた人たちが、日本社会で、難民として生きてゆく以外の人生の選択肢を作る活動をしています。

「難民として生きてゆく以外の選択肢」とはどういう意味か。

私たちは、日本に逃れてきた人たちが「難民になる」以外の選択肢を作ろうと、この5年間、難民の若者たちと試行錯誤してきました。
正確にいうと、今もその試行錯誤の道のりを歩んでいます。

実は、難民の人たちの中には、様々な経験・スキル・夢・専門性をもつ人たちが大勢います。文字通りの絶体絶命を生き延びてきたり、祖国の平和のために立ち上がる経験をしていたり、迫害にあいながらも人権運動に携わってきたり、自分でNGOや会社を立ち上げていたり・・・

一方的に支援・保護される弱い立場ではなく、彼ら彼女らのユニークな個性や力のある生き方は、一人ひとりの人間として魅力的でもありました。

そういった魅力ある若者たちとの出会いにより、新たな選択肢の模索が始まり、彼らを、その個性がもっとも活きるかたちで日本の企業に繋げ、企業は安定した就労の場を提供し、彼らは企業の未来ビジョンに向かって共に協働し仕事をする仲間になるというプログラムを提供するに至ってきました。

しかし、単に働く場があるだけ、就職できるだけではダメなのです。

この記事でも書いてきたように、祖国に足場のない彼らに必ず必要なのは日本で安定して安心して暮らせるための「在留資格」。

難民として認定され「定住者」の在留資格を得るためには、難民申請をし、難民調査官による審査を経る必要があります。

しかし、「難民として生きてゆく以外の選択肢」を考えたとき、そこに必要なのは、入管による「難民か否か」の審査ではないのです。

必要なのは、彼らのもつ可能性を信じ、能力を目利きし、ユニークな経験を買い、未来を一緒に描いてくれる企業の存在。

そんな企業が存在し、日本企業での安定的な就労が叶えば、「特定活動:難民として認定してもらうための申請期間にもらえる在留資格」という非常に不安定な在留資格だった人たちが、「就労のための在留資格」を得てゆけるのです。

すでに、こうして先の見えない政府の難民認定に頼らず、働くことを通じて安定して暮らせる足場を得て「難民としてではない生き方」を歩み始めた人たちが出てきています。その長いプロセスに伴走しているのが、人生経験豊かなキャリアコーディネーターたちです。

難民申請の不認定結果を受け取る人、退去強制命令が出される人が、私たちの周りにもいます。唯一希望を抱いてた難民認定にはもう希望がないかもしれないと、肩を落とし怯える人たちがいます。

これは逆説的かもしれない。政府が適切に難民認定しない問題に、正面から向き合っていないとも言えるかもしれない。

そう、本来は、命に危険が迫り難民として認めて欲しいと逃れてきて、相応な理由を有する人は、国際的なの基準で適切に審査され難民として庇護されるべきです。それは間違いない。国連も、人権法もそういっている。難民認定されて安心して生きて行ける希望を得た人も世界には大勢います。


しかし「別に難民になるのが人生の目標ではないんだ。僕は将来こんな仕事をしたい、こんなことを達成したい」と語る若者たちにとっては、難民認定さえ、1つの手段でしかないのです。難民になることがゴールではない。


だからこそ、強制送還がなければそれでいいのか、収容施設の外に出れたらそれでいいのか、いったい何が答えなのだろうと、家族を殺されたり、生まれ育った地域を破壊されたり、描いてきた夢を絶たれた同世代の難民の若者たちと向き合う中で悩みます。

この国で「難民」として認定されない・できないならば、他にどんな方法で、人として生きてゆけるかを同時に考え作ってゆく必要があると感じるのです。国民国家体制の下で、ある「政府」が迫害した人を、どこかの「政府」が難民として認定することの限界は、難民問題の根幹として様々に指摘をされてきましたが、国連と国家だけが難民問題を解決するアクター(主体)であり、それ以外は踏み込めない、そんなはずはなかろうと。

いま、企業の方々、プロボノの方々、そして私たちのパートナーである難民の方々と一緒に新しい選択肢を模索し構築しています。その道だって、全く簡単ではないものの、このままでは未来がないという課題に打ちひしがれるだけではなく、新しい道を作ろうと言うのは、まさに、パイオニア精神をもつ難民の若者たちがやってきたことでした。

入管法に関して、20年も議論されてきて、批判もされてきて、何度も改正されてきて、それでも良くなるどころかどんどん逆行していると言われる現状を目の前にそう感じています。

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タイトルを「オリンピック目前の日本で・・・」としたのは、大勢の外国人が日本にやってくるはずだったイベント(とはいえ別の文脈で開催がどうなるのかは不確かだけれど)を目の前に、外国からやってくる人、外国籍で日本に暮らす人、日本に生活の基盤があっても日本人ではない人などと、この国に日本人として暮らす私たちがどう向き合うかということに大きな関係があると思ったからです。

「国籍」という、自分ではどうしようもできない、変えることのまずできない属性を理由に、今日も収容されたり、生活する資格を失ったり、子どもや家族とバラバラにならざるを得ない人たちのことを今一度この機会に考えたいです。

先ほども書きましたが、改正案が採決されてしまう前の私なりの小さなアクションが、いろいろ悩みながらもこの記事を書くことでした。

これを読んでくださった皆さんへ🌷

それぞれにできる小さなアクションのひとつとして、このnoteでも、noteの中でシェアをした別の記事などでもいいので、ぜひSNSでコメントを付けてシェアしてくださったら嬉しいです。
弁護士さんのシェアでは届かない人にひとりでも多くわたしのシェアで届いたらと願っているし、わたしのシェアでは届かない人に、皆さんのシェアで届けてゆくことに、ぜひ力を貸してください。


次のアクションを託します。

2021.5.7 渡部カンコロンゴ清花


ここでいただいたサポートは、入国管理局に収容されている方々に面会で会いに行くときの交通費に使わせていただきます。ありがとうございます。