見出し画像

【呼吸のワーク日記】(2023.1.15)


 本当は8日にオンラインでワーク始めにする予定だったのだけど、直前にスマホカメラを壊してしまい、復旧まで時間がかかるということで、急遽、日程を変更していただき、対面でやることにしたワーク。

 程よい広さの和室でのワークは寝転んだり、座布団を使ってその場で思いついた動きをやってみたりと、このワークならではの自由さ、深さ。

 12月にやった時も思ったけれど、やっぱり生身の体を持った他者が同じ空間を共有しているというのは一つ一つの動きの深さが全然違う。

 始めてすぐにびっくりするほど声が変わる。外から見たらほんの小さな動きしかしていないはずだが、一つのワークをやったらかなり休憩しないと次に行けないほど、深いところで体が緩む。

 パートナーワークもほんの少しのサポートで体はどんどん開いていく。何か「してあげる」「してもらう」の関係ではなく、自分として在りながら相手に委ね切る。

 相手の状態を勝手にジャッジして自分が判断したよかれと思うことを押し付けるのでもなく、相手のポイントがずれているとジャッジするのでもない。

 お互いが違う人間として在ることが意味を持ってくる。自分では気づかなかった世界を示してくれる存在にお互いがなることでサポートする側もされる側も深い喜びが生まれる気がする。

 畳の上に大の字になって、そこから極力筋力を使わずのは起き上がるにはどうしたら良いかという数年前に一度宿題になっていたことのヒントをいただく。

 数年前、「実は介護などをやっている人はテクニックとして知っていること。技術として教えるなら、こうやるという方法はすぐ教えられる。でも自分の体で試行錯誤して体を発見して欲しいから自分で試してみてほしい」と言われ、時々思い出して家でやってみたけどどうしてもわからなかったこと。

 目のつけどころが違っていた。体を横向きにしてそこから起き上がるのだろうとは思っていたけれど、いつも上になる方の体をどうやって上に上げるかを考えていた。

 下になる方の体を赤ん坊のように丸くしていくと反対側は自然に上になっていく。体は一つのつながり、どこかが動くと自然と連動するのだ。いつもいろいろな角度から感じていたはずなのに全く考えていなかった。

 その場にあった座布団で足を揺らしてみたり、その時々の自分の体が必要と感じるものをその時、その場にあるもので動いてみる、マニュアルも型も何もない、どこまで感じ取れるか、その場の全てとどう繋がれるかが問われるワーク。

 終了後に新しいスマホに更新するためにショップに行って、その後、細かい設定と格闘(笑)。日付が変わってしまい、「明日からまた仕事だから」と最低限の設定で諦めて寝て翌朝使おうとしたら思わぬ不具合...。

 というわけで、この日記も終了後2日も経ってからのアップになってしまいました。

 いつもは終了後にその日のうちに書いているのだけど、2日経つとどうだろう。ワークが自分の中で熟成したかな?

※ 写真はみんなのギャラリーから倉嶋洋介さんの写真を使わせていただきました。和室の雰囲気が素敵だなあと思います。ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?