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2022/05/31 加速故の火傷

 英語の授業前に宿題をやろうと思い、PCでKindleを立ち上げた。教科書を開こうとクリックして十数秒。一向に開く気配がない。10分程度同じことを試したりPCを再起動したり、待ったりしたが駄目だった。対処法を調べたところ、アプリを再ダウンロードすれば治ったという声がいくつか拾えた。再現してみる。無駄だった。来週には中間試験なのにどうしよう。ちなみに授業は出欠確認以外当たらなかったのでアイスコーヒーを飲んで過ごしていた。

第二次syudouブーム

 Eveのライブが終わってから自分の中のEveブームは落ち着き、代わりにsyudouが盛り上がっている。半月ほど前に「邪魔(selfcover)」「着火(いゔどっと)」「狼煙」の3曲を買った。特に「邪魔」と「着火」はお気に入り。「狼煙」も嫌いじゃないけど、私のsyudou歴は長くないのでファンの人と同じ熱量で好きになれない。またsyudou本人への感情は今のところ特にない。

「邪魔(selfcover)」

「着火(いゔどっと)」

「狼煙」

 「邪魔」はこれでもかというほどドス黒くて荒々しい感情を歌っている。

誰彼皆皆お前らの 味方になるけれど
それでもアタシは許さない 認めない
アタシが善とは思わぬが お前が善など反吐が出る
とはいえ現世の目は明らか 自問自答で夜は暮れる

 この人知れずに誰かを猛烈に呪っている感じが好きだ。そこに正当性があまり感じられないのも良い。世論では「正しい」とか「正常」とか言われていることを、自分だけが認められないということは今までも多々あった。例えば会社の中の人としか会わないのに服装に規定があるとか「ウチは文武両道で部活動加入率90%超!」という暗に押し付けてくる文言とかゴシップで盛り上がるとか。その中でもその矛先が「クラスの人気者」とか「誰もが認める善人」に向いた時が辛かった。誰に話しても共感はおろか、理解すらされない。被害者ヅラする気はないが、自分がひん曲がってるんだなあとは朧気ながら思う。でもその気持ちをピッタリ表現する歌があるとは思ってもみなかった。

嫉妬で駆けていこうぜ ララララララララララ

 イェーイ駆けていこうぜララララララララララ。

 「着火」は打って変わって前向きな曲だ。初音ミクver.も聞いたけど、機械よりは人に歌ってほしかった。本人歌唱ver.を探したがどうやら投稿されていないようで、iTunesを検索してもヒットせず。さらに調べるとどうやら「いゔどっと」という方に書き下ろしたものらしかった。とりあえず聞いてみた。なるほど確かに、いゔどっとのことは全く知らないけどその良さが引き出されているように感じた。

いや分かってんだ 分かってんだ
終わりは刻々迫ってんだ
じゃあどうすんだ 分かってんだ
死ぬまでに間に合え

 「死ぬまでに間に合え」が好き。間に合わない可能性をあくまでも内包しているのが良い。主題としては「昔諦めた夢をもう一度追いかける」というこれまでにも何度も聞いたものだけど、堕落した生活の描写の解像度が高い。ただ長いのでここには書かない。

ねぇ確かに夢や青春なんてのは一過性のもので
過ぎ去ってしまったら平熱の毎日だけど
頭の中で鳴ってるあのヤンキーの声が
もう切っても切っても鳴り止まない

 真面目に生きてきたのにヤンキーの方が幸せそうなのは隣の芝生で、多くの場合はそれを見るよりも自分の芝生を青くすることに注力した方がいいと思う。でも隣の芝生が自分の本当に欲しいものなら、自分の庭に持ち込んで育ててみてもいいかもしれない。

 触れなかったけど狼煙も大好きです。着火と合わせて聞いてます。着火の後に狼煙上がったらなんかいいじゃないですか。時系列が離れすぎ?

理屈や倫理や常套句 はたまた論拠さえ
アタシの前では通じない 聞こえない


私の再生可能エネルギー

 私は負の感情に敏感で、すぐにそれを感じるし呑まれてしまうことも多い。ただたいてい負の感情をエネルギーに成長してきた側面もある。「悔しい」「寂しい」「憎い」「見たくない」。方向や内容が途中で変わることもあるが、そういう動機で努力するときが一番成長する。負の感情ベースで判断を下すことも多い。だからこそ計画的に動くし、用心深いし、リスク回避的だ。ただ大学に来てから少しずつ精神構造をいじっていた結果なのか、最近は少し変化がある。

 例えば5月から私は本格的に統計学を勉強しているが、そもそもの端緒は「データサイエンティストってカッコよさそう」で、今現在のモチベーションは「楽しい」と「CAEがやってみたい」だ。この過程で誰かや何かを憎悪したり嫌悪しておらず、代わりにあるのは憧憬ばかり。あと自分の成長を純粋に楽しんでいる。久しぶりにクリーンに努力しているなと感じるし、他のことに忙殺されない限りは当面やる気が枯渇しなさそうなのも嬉しい。劣等感や憎悪をバネに成長するとき、私は大きく跳躍できた。しかしそれらは対象を超えたとき、対象が私の世界から消えたときに伸びきってしまった。今の進歩の指標は過去の自分と、自分で生み出した理想への距離のみ。もちろん負の感情をエネルギーに跳躍するのは今もこの先も変わらない。 (憧憬なんてや劣等感や嫉妬の腹違いの兄弟姉妹みたいなものだ。) それを強力な武器にできるのは自分の強みですらあると思っている。でも目標も動機も自給自足できた方が、人生って何倍も良いものになるんじゃなかろうか。

 サラッと流したが決断方法も結構変わった気がする。計画性に関しては恐らく変化なし。ただリスクは取るようになった。考えるのが面倒になっただけかもしれないが。文系の学部にいながら線形代数を齧りつつ統計学 (しかも理論寄りで計算ばっかり!) をやるなんて私の中ではリスクそのものだ。悲観的=現実的な考え方は就活において遺憾なく発揮されているけど「挑戦」に対するハードルが様々な要因から下がったなあと感じる。そしてその一番の要因は行動指針における「負の感情」の決定割合が減ったことにあると考える。


加速故の火傷

 そんなわけで私は今加速している。とにかくやりたいことが多くて、時間と体力が倍欲しい。体力のなさは運動を忌避し続けた報いなんだけども。加速中、私は1人でずんずん進んでいこうとする。人に決定権を少しも渡したくない。人が策定した計画は私の考えと全く違うから嫌、最初から人に教わるのも嫌、友達と遊びに行くのも裁量権を折半する必要があるし何より加速が止まるから嫌......。

 まあ恐ろしくわがままで、自分の殻に閉じこもろうとし、人との交流を避ける。故にコミュニケーションが雑になり、相手の気持ちを考えるという小学1年生でもちゃんとできることができなくなる。土曜日にはアルバイトがあったのだが、それ故に悩みを抱えた生徒に対し「わかる」とか安易な言葉を吐いたり「しんどかったら遠慮なく言ってね」というポーズだけの空虚な言葉をかけてしまった。他にも提出物がギリギリになったり、考え事に耽って人に声をかけられて気づかなかったり、明るく振舞えなかったり。

 こういう時は山籠もりでもしたくなる。とにかく1人で研鑽して、気が向いた時だけ人里に下りる......みたいな。少し前に1人でホテルを取って籠るということを友達と喋ったことがあったっけ。あれに近いことがやってみたい……なんか半月前に同じこと書いた気がするな。それだけ継続して加速できてるってことか。分かんないけどそれでいいや。


梅雨来る前にピンポンしてほしい

 書いてる間に日付が変わった。6月。梅雨が近づいているらしく、雨が多くなった。雨が上がった日の夜風は気持ちよくて、それを浴びながら読書をすると一瞬でQOLが上がるのでおススメ。デメリットは睡眠時間が削られて、夜以外において全てのパフォーマンスが低下すること。梅雨さん、来ること自体は拒まないけどせめて来る前に確認してほしい。「今から行っていいですか?」って。一生断るけど多分。

 6月は中間試験シーズンだ。散々加速について書いておきながら、いきなり停滞の予感。前線と一緒に進捗も留まるのは勘弁してほしい。それは私次第なんだけど。とりあえず今月は、インターン片っ端から応募して、統計学引き続き勉強しつつ大学の勉強に軸足移して、加速しつつも人に優しくできるようになることを目標に。結構欲張り。でもそれも変化ってことで。

 今回書き方をいつもと変えてみたけどこっちの方が書きやすい印象。読みやすいかどうかは知らないけど。




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