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2023/07/01 suspended on chains

 昼間見た「害虫忌避剤」のCMを夜中になんか思い出した。害虫の嫌がる匂いが何かを発する木のエキスを抽出して、霧状に散布するものらしい。殺虫剤と似たような感覚で使う防虫剤のような雰囲気。
 ただアレを見た時に「それならその木を買ったら良くね?」と思った。木片とか買って細かくして、適当に撒いとけばそれで。製品の方は水がかかると流れて効果切れらしいけど、木の方は流されない限りはそこに残る。なんなら若木を育ててしまうのでも良いかも。育てるのに障害がなければの話だけど。
 あるいは、注意を払った上で燃やして蚊取り線香みたいにしたほうが効きそうだなとも。キャンプなら薪みたいにして使えそう。
 なんにせよ製品で買って霧状にして散布する必要ってあるのかな?と思った。もしかしてエキスの抽出が大変なのかな?あるいは希少な木なのか?だとしたらCM流すかな?

 好奇心って睡眠を1番邪魔すると思う。勉強して時計を見たら2時を回っていたことに気づいた今の私がその証左だ。

宙吊り

 就活を大成功で終えた友達からきたLINE。大成功で終えても腹の中はこうなのだ。

あと9ヶ月で就職=死ぬって考えると
残りの40年が辛すぎてマジでブルーになってる

 労働時間は生きる屍観はめっちゃ分かる。分かりすぎるから院進に挑戦してるところもある。この話をもう少し正確に表すと、私は労働というより就活の茶番さに嫌気がさした。お金さえくれれば働かずに遊びたいと思う人が多いはず(これは仮定)なのに、みんな「社会貢献がしたい」だの「自己成長がしたい」だの。「楽にお金が欲しい」が1番根っこなのに。もっと言えば「飢死したくない」かもしれない。
 私はいつも情熱を持って、飢え死にしないために必要なことをやります!誰がどう考えても不採用だな。それなら昆虫でもできる。というか昆虫の方が私より上手く社会を構成して、そこにフィットして生きてるんじゃ……?

 エッセイとかでみる「社会性がない私」とか「やらなきゃいけないと分かっててもできない」とかは、理解しつつも心では分かっていなかった。ただ今日、出勤記録をつけ忘れて1日バイトをした後で「私は本当に社会性無いんだな…」とちょっと辟易した。
 カードを通し忘れて給与が出ない。事務の人が処理してくれようとして書類の記入を依頼されたけど、一連の手続きをスキップするためにバイト代を手放しても良いと思えた。タダ働きなんて御免だけど、なんかこの時はそんなことどうでもよくて、ただただ帰りたかった。労働という場面をさっさと転換したかったのかもしれない。
 結局書類を記入する必要はなく、PC上で処理をしてくれることになった。ただなんかもう本当にどうでも良くて、挨拶もそこそこに立ち去った。「ありがとう」って言ってない気がする。

 友達はそんな私を見て「生きるのが向いてないんじゃない?」と茶化す。「そうかも〜『あなたへのおすすめ:死』ってことだわ」と返す。笑っていたけど、心はその言葉の重さを振り払うのに必死だった。

 バイト先のグループチャットから友達が1人抜けた。それとは別の人も6月末で辞めた。茶化してきた友達は9月から語学留学。よく考えたらバイト先以外の居場所なんて無いから、社会性どころか社会との接点すらも欠けていく。なんか犯罪者予備軍みたいで嫌だな。度胸が無いのが幸いか。

 そんなこんなで、私だけがいまだに宙吊り。

エスカルゴを頼み散らかそう

 就活を終えてその先に横たわる未来に絶望していた友達。そこに別の友達を加えて3人でサイゼリヤに行った。値段を上げずにバイトの給与を上げる企業に、少しでもお布施がしたかったのと、エスカルゴが食べたくなったから。

 からめるぐるんラジオでエスカルゴの話をチラッと聴いて食べてから、お金に余裕がある時は必ず食べるようになった。1回日記をそれだけで書いた気もする。
 リボルバーみたいなお皿に入ったエスカルゴ。結局アレは貝なのか、それともカタツムリなのかどっちなんだろ?カタツムリだよな……と思いつつ、カタツムリなんて寄生虫とかいるし食べられるか……?という疑問が削ぎ落とせない。

 大企業に内定した友達の周囲はやっぱりトップクラスの人間が集まっていた。商社がウヨウヨいる。彼氏にすれば一生安泰だろう。多分。
 今私もしたことだけど、こうやって格付けされるのが辛いところだよね。人間は文字通りゆりかごから墓場まで格付けされる生き物だ。早いとこその格付けから脱却て、自分サイズの尺度を見つけられた人から、幸せになっていけるんだろうな。虚無主義に陥ったらダメだけど、至る所に転がっている価値基準を否定するだけなら行き着く先はそこだろう。転がっているのを拾って、ちゃんと自分サイズに加工していくことは案外難しい。

 別の友達は内定が出た企業の年収を調べて嘆いていた。物流は言うまでもなく「物を運ぶ」仕事なんだから、無くなれば生活が立ち行かなくなる。それでも、最悪なくても死なない仕事の方が金払いが良かったりする。目の前の2人の友達もそういう関係性だ。呪術の七海のセリフが頭を掠める。
 1番厄介な価値基準は給料とか値段なんかだろう。給料ってどういう要因で決定されてるのかな。需給、環境、運だとすれば、「仕事に見合う額」って一体どういう意味なのかちょっと分からない。最近、お金を稼ぐことにしか興味なさそうなエセ科学者に国が投資をしてる?みたいな話が回ってきた。国レベルでそんな感じなんだ。普通に科学者やってる人をちゃんと支援してあげてよ。

 それが人の価値を意味しないと口では言いつつも、それが全てであることは多分みんな分かってるんだよね。言わないだけで。社会はそういうところ意地悪だと思う。ハッキリ言えば良いのに。見た目とお金が全てですって。バイト先でもずっと思ってることだけど、ただ丸まって寄り合うことが最優先なんだっけ?もっと喧嘩した方がいいと思うよ。

 就活の話をしている間に、エスカルゴは食べられる温度になった。エスカルゴは変わらず美味しかった。私は友達もサイゼリヤに来て、エスカルゴをお腹いっぱい食べられることが現時点では幸せかな。

 たとえ私だけが宙吊りでも。カタツムリみたいに鈍足でも。とりあえず目の前のことを一生懸命こなして、空いた時間に好きなことしてれば、なんとかなるかな。カタツムリを嬉々として食べながら考えることじゃないか。とりあえず美味しいからオールオッケー。みんなもエスカルゴ頼み散らかそう。

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