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2023/03/20 リゾートの衝撃

 世間を少しだけChatGPTがにぎわせてから、間髪入れずにGPT-4なるものが登場し、早速色んな方々に遊ばれ始めている。私はデータサイエンスの勉強を細々と続けているのだが、そんな潮流を尻目に統計学を学んでいる。なぜかインターネットでデータサイエンスやってる人を探すとAI開発やディープラーニングをしている人が多くヒットするんだが、計量経済学とかそういう分析は脚光を浴びづらいんだろうか。やはり何かAIが出てきたとなればすぐ「シンギュラリティだ!」とかなるからか。確かにAIの方が話題性は高いかもしれない。
 そんなことを考えつつ、私は「RとStanではじめるベイズ統計モデリングによるデータ分析入門」という本を1周した。3月いっぱいかけてやる予定だったが楽しすぎて半月で終えてしまった。状態空間モデルを今すぐにでも試してみたく、うずうずしている。具体的にどうなるのかがまだあまりイメージしきれていないのだが、こういうのは何をすればいいんだろうか。Google scholarで探すんだろうか。

ブックオフ、めちゃ良い

 部屋の机の横に、もう二度と読むことがないであろう本たちがタワーになっている。私にとってハズレだった、今となってはレベルが低い、面白かったけど読み返すほどではない……等々。理由は様々。そのタワーがとうとう腰の高さまで届くくらいになった。しばらく見ないふりをしてたが、欲しい本は増えていく一方。タワーが未竣工のうちにと、一昨日ブックオフに行ってきた。

 自転車で20分。リュックがパンパンになるほどの本を詰めて傾斜の緩い坂を上る。ホームセンターが見えたら左折。幹線道路に沿ってひたすら進む。リュックが重すぎて途中何度かハンドルを取られかけた。少し肌寒かったのに、到着するころには汗ばんでいた。

 少し狭めの店内に並ぶ本たちに軽く興奮しながらリュックをカウンターに置いた。「20分ほどかかりますが、店内でお待ちになられますか?」と言われたが、実際5分ほどで呼び出された。
 買取できたものだけで査定額5700円。20冊強は持ってきていたが、その甲斐あった。翌日の鴨そばには十分耐えうる金額。相場が分からないからなんとも言えないが「あんなにマイナーな書籍ばかりで、ここまで帰ってくるものなのか……!」と思った。(売ったのは半分くらいが大学の教科書や専門書の類)

 本当はすぐ帰るつもりだったが少し店内を物色。扱っている数はやはり少し物足りず、表紙が破れていたり汚れていたりするが、それを差し引いても十分すぎるほど本屋として機能している。一時的に力を借りるようなもの (資格試験対策や大学の教科書など) はここで揃えるのがクレバーなのかもしれない。
 私は基本情報技術者試験の教本を買った。大学院生になれたら受けるつもりだ。約1700円が300円。店が心配になる。「読書体験」ではなく「記載情報」に価値のある本なら (情報価値が落ちたとしても) 表紙が破れていただけでここまで値引きしなくても良いのでは。

 実利的でない意味でもとても良い場所だなと思った。かつて誰かの血肉となった本。ページが茶ばむくらいに読まれた本。処分する方が簡単だろうに、わざわざ店まで持って来られた本。それらは数多の本好きたちのお眼鏡にかなって本棚に並び、役目を終えてまたここに戻ってきている。電子書籍が隆盛に向かっているこの時代に、本を通した無形のつながりが感じられる場所が存在するのは、とても尊いことではないだろうか。
 少なくとも私には、ブックオフが現代では失われつつある楽園に思えるのですがどうでしょうか。

ラストリゾート / Ayase

 言わずと知れたYOASOBIというユニット。そのコンポーザーAyaseがボカロPもやっていると知ったのは1年前。そのことをふと思い出して、「どんな曲書いてるの?」と探して見つけたのがラストリゾートだった。

 正直J-POPのそのメインストリームのユニット (の1人) がこんな曲を作っているとは思いもしなかった。ポジティブな感情が1mmもない。社会で「ずっと上手くやれている」人間の多くは一生出逢う事が無いだろう。(見下す意図は全くないが) 出逢ったとしても響かないだろう。真偽はともかくとしてそれくらいの曲。私はどちらかと言えば「常に上手くやれていない」側の人間で、大きな衝撃を受けた。

四十二度溜息とスモーク 嗚呼リンスー切れてたんだ
洗濯も溜まってたんだ まあもういっか
狭くなったベランダの様だ ゴミ溜めの様だ
それが僕だった
ラストリゾート / Ayase

 なんてことない日常風景。の別に輝いていない部分。嫌な親近感を誘う。「まあもういっか」という言葉の解像度が個人的には好き。色々と積み重なって、鬱々として、でも最後は割にアッサリしているものらしい。
 これまで往生際が悪くもがいていたのかもしれないし、あるいは本当に怠惰と手を繋いでいたのかもしれない。どちらにせよ普通の人間よりも清々しく死に向かっていく様が、名状し難い。最期の一瞬だけを切り取れば、人生に満足している人と人生に未練しかない人は同じ気持ちなのかもしれない。

逃げ場の無い世界で逃避行
ラストリゾート / Ayase

 「自殺は逃げた人がとる手段ではない。逃げられなかった人が縋る手段なのである。」という言葉を思い出す。もし知らなくても、あるいはそんな言葉は存在しなくとも、歌詞にあるこの一節はそんなことを指していると思う。
 まさしくLast Resort。逃げ道を塞がれ追い詰められた人間が、最後の楽園を求めた最終手段なのである。

嗚呼これでよかったんだって
そう何度も唱えて
掴めずに消えてゆくユートピア
ラストリゾート / Ayase

 人生の非情さというか惨さというか、それを味わってしまった人の心情の大枠は、これで必要十分に表せているのではないか。
 私が好きな別のアーティスト、Diosの「紙飛行機」という歌には「墜落した機体を引き摺る日々」という歌詞がある。結局大多数の人々は分かりやすく正解の人生を送ることができなくて、それでも自分の選んできた道を正解にしていくしかなくて。そんな日々を送るうちに、捨てられない理想に対して折り合いをつけてしまう。捨てられないからこそタチが悪い。

 理想を捨てられたとして、自分なりに別の理想に向かっていく行為はある種の「逃げ」かもしれないと思い至った。もちろんそれは理想に対しての進歩でもある。ただ歩く道を変えただけだ。この曲を聴くまではそう思っていた。ただ、それはまだ逃げ道が残されていたからこそ取れる手段なのではないか。
 私が高校3年生の時も「大学合格」という理想へ繋がる「受験」という逃げ道が残されていたから、生きられたんだ。もはや持ち腐れの理想を捨てられずに抱えていた私は、そうでなければ他に手段も目指す楽園も無かった。もしもあの時、逃げ道がなかったら、殺していたのは「心の中のもう1人の自分」だけで済まず「物理的に存在する自分」に及んでいたかもしれない。
 では何から「逃げ」ているのか。浅い答えで申し訳ないが、個人的には絶望なのかなと思う。理想との距離、それと比較した現実、後悔、それを埋められない自分への嘲笑……。日々から生まれる小さな絶望かもしれないし、実際には諦めきれない元の理想を捨てた (と信じ込んだ) その瞬間から心に空く穴から湧く絶望かもしれない。そういうものからの逃げ道を見つけられなかった時、人は最終手段に出るんだと思う。
 MVの最後、中央の女の人も笑顔で最終手段に出たのだろう。

 Ayaseがこの曲を書いたのは売れていない時で、やはりそれまで存在した自分の中にいるもう1人の自分を葬るために作ったのだそう。(コメント欄曰く) 今でこそ1700万回再生を超えているが、YOASOBIとして爆発的に知名度を上げるまでは1万回とかだったみたい。
 今までの自分を殺すという発想はぼくのりりっくのぼうよみから得たものだったが、他にも共鳴する人がいると知れたのは、私にとって救いになった。私だけがおかしいわけではない。私がぼくりりに傾倒したわけでもない。ただ、心が逃げ道を無くしかけているから「それまでの自分を殺す」という逃げ道を無理矢理作りだし、飛び込むしかなかったんだ。そしてその感覚は、私以外解さないわけじゃない。

 一度ヒビの入った心は、完全に元には戻らない。元のものより明らかに脆い。だとしても、ヒビが入った時の処置として、(烏滸がましくも) 同じ風に考えて同じようなことを行った人がいるなら、少しは強くなれる気がした。


幽霊東京 / Ayase

 ちなみにこちらもおすすめ。言葉にならない虚無感がオシャレに描写される。ボカロが苦手な方はセルフカバーver.が上がっているので一度聞いてほしい。特に一度心がボロボロになった経験がある人に。

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