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2021/10/12

1限はデータ解析についての講義。
ビッグデータがどこで使われているかについての話だった。
正直どうでも良かったし、要するに「データは今どの分野でも使われています!」ということが言いたいのだなと感じたので、途中から聴くのをやめた。
その次は中国語の授業。
暗唱する文章が1つ増えていて、少々厄介に感じた。
オンライン講義なのでカンニングすることは容易いけれど、結局は期末試験などの対面試験で見られることになるので、覚えていた方が得だ。
せめて2つくらいは覚えておかないと、厳しいものになるだろう。


3限目はマスメディアについての講義だった。
世論を集約したり形成する役割があるとか、フレーミング効果についてのお話。
音声付きパワーポイントから流れる教授の声は、昼下がりの雰囲気も相まってあまりにも眠気を誘う。
沈黙の螺旋というワードは印象深かった。
マイノリティ側の人は自分たちがマイノリティであると感じると声を上げるのを控えるようになり、結果的にマジョリティの意見ばかりが目に留まるようになるというもの。
まあ、そりゃそうだよね。
そうやって常識は形作られているし、世論というものもきっと似たようなものだろう。
インターネットの匿名性は否定的な文脈で語られることが多いけれど、こういうマイノリティに属している人が臆することなく声を挙げられるのはその匿名性の後押しがあったからということは無いだろうか。
誹謗中傷は間違いなく止めなければいけないけれど、そのために匿名性を無くしてしまうと、マイノリティの声は裏でいくつ窒息するのだろう。
私も匿名だからこそ、正直な日記を綴っていられる。
そのあたりのすみ分けはできないものかな。

他にも集団極化とエコー状態という言葉が出てきた。
集団極化とは集団で意思決定を行う際に、その過程を経て個々人の持っていた考えが極端に偏ってしまう現象のこと。
みんなが急進的な思想を持っていれば議論を経てより急進的に、保守的な思想を持っていればより保守的になるという事だと思う。
仮にそうなら、私みたいな人間関係が狭い人間の考えはどうしても極端で、それが個性で済むものならいいけれど、ある日突然凶悪犯罪者に変質する可能性も、顔の広い人に比べて高いんだろう。
だから本を読んだり、SNSでなるべく多くの意見を取り込むようにしているけれど。
また、この集団極化によって分断が生まれているとも説明された。
相手を理解して認め合って共存するための話し合いの場が、自分の考えをさらに鋭く錬磨して相手と切り合う場になるなんて皮肉に感じる。

エコー状態。
閉鎖的な空間でコミュニケーションが繰り返されることにより、考えが増幅されてしまうこと。
集団極化とかなり似ている。
例えばSNSのタイムラインは、主に自分がフォローしている人の投稿しか流れてこない。
自分が仲良くしたいと思った人、自分が面白いと思った人、自分がかわいいと思った人、自分がカッコいいと思った人、自分が真似したいと思った人、自分が綺麗だと思った絵を描く人......。
また基本的にバイト以外で外に出ない私は、LINEでしか交流しないし、忙しくなったり人恋しさを人で埋めなくなった最近では、その人数も1人か2人だ。
それもこれも全部視野を狭める原因に、考え方をより極端な方へ錬成する原因になっているのかもしれない。

友人は少なくても別にいいと思っている。
日本人の99%に嫌われて、1%に好かれるのだとしても100万人以上に好かれることが可能なのだし、結局大勢のただの遊び仲間よりも一握りの気の合う人間の方が色々な場面で大事で、またその人たちを大事にしていればそれで十分。
それに人が大事にできる人間の絶対数は決まっていると思うし、それは思っているよりずっと少ないと感じている。(私は片手で数えられる程度だと思う。)
その少ない人数の中に、好きでもなんでもない人を入れろとは言わないけれど、畑や価値観の違う人とも定期的に交流する場を持たなければ、自分の世界はみるみるうちに閉じていく。
全てを好きになることなんてできやしないし、そもそも違う価値観の人とほんの少し接触するだけで私はどっと疲れる。
でも、初めから仲良くなれないと諦めてでも、全く別世界に人の考えに触れたら、自分の認識は多少なりとも広がるかも。

人間関係の形成は苦手だけど、考え方に触れるくらいなら。



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