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2021/10/11

昨日の宣言通り英語の課題を昼に終わらせた。
DeepL翻訳を駆使したことは褒められたことではないが、ルールには違反していないのでセーフ。 (という事にしよう)
たっちレディオを聴きながらの作業は、ラジオがちゃんと聞けないというデメリットがあるけれど、その分作業や課題に対する苦痛が大幅に軽減されるというメリットがある。
合計1時間ほどかかったはずだけど、体感では30分ほどしか経過しておらず、久々に集中していたんだなと感じた。


夏休み明けゼミ2回目。
外はまだ少し暑い。
陽が出ているうちは、長袖シャツやカーディガンを羽織ると汗をかく。
自転車で坂を上っただけで、身体が熱を持つのを感じた。
もう10月も半分終わるのに。

早く着いたので風通しの良い場所に座って、背中の汗を飛ばす。
汗をかいた状態で人に会いたくないというのもそうだけど、教室の冷房は強くて、汗をかいている状態だと寒くなることもある。
なるべく標準に戻してから移動したかった。
その席でゲーム理論の課題を眺める。
よくよく考えてみると、問題3がわからない。
突如としてピンチが訪れた。
こちらは明日の昼間にじっくり考えるとしよう。


ゼミは滞りなく進んだ。
尊敬する先輩の自己効力感に関する発表が行われたとき、私が言った「性別などの属性による偏見の有無も考慮してはどうか」という指摘が、TAの方に取り上げてもらえた。
「あなたの意見は的を射ていますよ」というわかりやすい証明をもらい、少しばかり恥ずかしくなった。
今この「恥ずかしくなった」は「照れた」という意味なのだが、調べたところ「照れる」の言い換えは「赤恥」「辱め」という方の恥ずかしいよりも少ないらしい。
昔の日本人って屈辱ばかり覚えていて、褒められて照れることがあんまりなかったのか?とつい邪推してしまった。
確かに、家柄を侮辱されたりして激怒する侍やら貴族やらは思い描けるけど、褒美を与えられて照れて赤くなっているところが私には想像できない。

閑話休題。
別の人の発表でも、グループで話し合うことで、私になかった考え方をもらって私のそれをアップデートすることができた。
私は基本的に勉強や研究など多くのことに関しては個人主義だけれど、こうした交流は絶対必要不可欠だと思う。
これはリモートでは受けづらい恩恵。
リモートで議論がまともに深まった経験がない。
ずっと顔を見られていることがよくないのだろうか。
こちらの全てが相手に常に観測されている状態なのが、萎縮を引き起こしているんだろうか。
オンラインの良いところ (先生が話すだけならオンラインでいいし録画が残るのは便利) は残してほしいけれど、対面講義でしか得られないものをはっきりと感じた。



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