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2024/07/03 閾値を超える

 家の庭先に2年ぐらいついていた蝉の抜け殻。植物の葉の裏にずっと張り付いて、雨風の侵食を耐え抜いていた。
 最近、庭先の木が手入れをされた。その後あの場所を見たら、抜け殻は無くなっていた。

ナノをまた聴いているという話

 最近、以前よく聞いていたアーティストにハマっている。その名もナノ。これほどロックしている女性シンガーがいるのかという、常に何かと戦っているような力強い歌声が好き。
 他にも、とても英語の発音が綺麗で、ノンネイティブの私でも聞き取りやすい。歌詞も短くて簡単な言葉を何度も繰り返すようなものじゃなくて、表現の幅が広いように思う。簡単な単語でいろんな情景を描くことも、それでカッコいい曲がかけるのも凄いけど、ナノの場合はしっかり文章になっているのが好きなポイント (あくまで素人の感想で、普通に単語だけが並んでることもあると思うけど)。

 今特に聴いているのはSABLEという曲。踏ん張らなければいけない時期には、やっぱりこういう曲が聴きたくなる。ideology の発音の仕方が狂おしいほど好き。なんかまた英語勉強しなきゃっていう気持ちになる。私に唯一才能があるとしたら英語だったのに、飽きて辞めちゃったからね。

 新しい曲だとoblivionも好き。しっかり現実を見ろ!逃げるな!戦え!っていう雰囲気があって、頑張らなきゃ…!っていう気持ちになれる。やっぱり英語からも数学からも就活からも逃げずに戦わなきゃいけない……よなぁ。

 あとはKEMURIKUSAもおすすめ。私に刺さる「悲しくて重たい現実があった上での、それでも残る脆い希望」みたいなそういうものがある曲。人生そのものだよねそれ。
 「Finding my life in the KEMURIKUSA」と「Not even this darkness can limit us」の韻も好き。タイアップ先のアニメについては例によって知らないので、どういう意味なのかは分からないけど。

 もちろん「休みたい〜」とか「悲しいもう無理」っていう時もあるけど、そういう時は別のアーティストに助けてもらっている。そしてそこから「そうも言ってられないよな」っていう時に、私の中でナノは手を引っ張り上げてくれるアーティストなんです。


家族との会話が好きになれないという話

 私は今実家暮らしで、母、弟、妹の4人で暮らしている。特に子供三人衆は仲が良くて、それが私の自慢でもある。ただ、最近は「やっぱり就職を機に家を出たいなぁ」と考えるようになった。その理由は、家族との会話に小さな、ほんと小さなストレスがあるから。
 3人全員に共通するのは、分からないことを調べないということ。特に弟と妹はスマホを手放さない割に単語の意味などの、調べればGoogleが1番上に大きな文字で答えを提示してくれることを聞いてきたりする。
 何か理由があって調べられないとか、結局分からなかった、みたいなことならわかるんだけど、「調べた?」と聞くと「ううん」と毎回言われ「調べてから聞いてよ」というと「だって調べるより早いし答えてくれるから」と。私はAlexaでも無ければSiriでも無い。さすがにイラっとくることが多い。

 他にストレスを感じるポイントが3人それぞれにある。
 母に関してはロジックが通っていないことがあり、応答が微妙にズレることが多いから。どれだけ丁寧に話しても、やはり私の能力にも限界があるので、起きてしまうのは仕方ない。ただ、さすがに「アレ?」と思うことが増えてきた。
 他にも、英語が壊滅的すぎるというのも地味ながらストレスになる。少しでもカタカナ言葉を使うと分からないと言われる(そして調べない)。分からないのは仕方ないとして、学ぶ姿勢、調べる姿勢はもう少し持って欲しい。

 弟と妹に関しては、ネガティブな色が根底にあるコミュニケーションをしてくることがストレスになっている。
 正直なところ、弟はそこまでユーモアがない。でも面白いことをしようとする。そういう人が間違った方向に行く例として「強い言葉で何かを否定する」というものがある。弟はその道を地で行っていると思う。私にとっては、聞いていて気分の良いものではない。
 妹に関してはユーモアの方向での頭の回転が早い。ただ、家に帰ってきてそのユーモアを発揮するのは、大抵クラスメイトや教師の悪い点をあげつらって愚痴る時だ。
 愚痴というのは誰にも得を与えないと思う。そりゃたまには愚痴をこぼしたくなる時もあるけど、それはあくまで自制ではどうにもならない場合の話で。言った人は悪口を言うという評判がつき、聞いた人は強制的に話し手のネガティブな気持ちに共感させられる。それが愚痴というものだと私は捉えている。
 それを毎日下校するたびに、甲高い声を響かせて耳に届けられる。その度私もネガティブな気持ちになる。
 一度母親に「ちょっと何とかした方がいいんじゃない?」と相談を持ちかけたが「妹自身が愚痴られる側になっていないから大丈夫」という返答。さすがに視野が狭すぎて辟易してしまった。それ以来、家でのコミュニケーションにおけるストレスの低減を、私は諦めつつある。

 厄介なのは、我慢ならないかと言われればそうでもないということ。逆鱗のすぐ隣をなぞられているような。ただ、だからと言って何も感じないということではもちろんない。
 温厚だと家族には褒めてもらうことが多い。家で最も賢いという評価を貰うことも多い。ただ、それは感情に任せて否定をしない意識や、分からないことを調べる姿勢を保つよう意識しているから。そういうところで人を不愉快にさせないよう、気を回しているから。
 それを見ないまま「温厚だ」と評価されると「君は虐めても黙っているよね」と言われているような気分になり、複雑な感情になる。それも表に出さぬよう過ごしているけど。
 私に経済力がないから、生殺与奪の権を握られているから、改善に動くのはリスクが大きすぎる(母は感情に任せた不合理な判断を平気でする人だ)。だから大人しくしているけれど、一人で暮らせるようになったら、それにどんな困難や不便があろうと、どれほど見えなかった実家の素晴らしさを感じても、しばらくは家に戻らないだろう。


インターンに行くたびに

 今年からは、インターンの情報を新卒採用の判断材料として使って良いこととなった。つまり、就活においてインターンに行ったか否かを、公然と評価に加えて良いのだ。今までも秘密裏に行われていたと思うけど、やはり公的に認められるとなるとその影響は大きい。
 というわけで日系大手のサマーインターンには10社ほどエントリーした。もっと多い人がたくさんいて震えているけど、1社1社時間をかけているとこれが限界なように思う。かといってクオリティを下げて乱発するのは、それはそれでどうなのかとも。

 そして同時に、ありがたいことに参加の機会をいただけたベンチャー企業のインターンシップも始まった。
 そこで毎回思うのが「これが週5日、それが毎週……?無理では……?」ということ。お仕事体験をするたびに、お仕事に対する希望や気力が無くなっていく。
 もういっそインターンには行かない方が、就活を前向きに進められるのではないかとさえ思う。希望だけを見据えて進んだ方が、最後まで頑張れるんじゃないかと。

 今回は参加したインターン(ベンチャー)の風土や社員の方の人柄が、私と根本的に合わなかったことも大きな要因だと思う。現に大手インフラ会社の1dayインターンは、大変だったけど学びもあり楽しかった(レベルが高かったので多分落ちたけど)。ただそれでもやはり、これが週5日×8時間以上は、私にとってはかなり苦しい。
 今後この苦しさが何由来なのかを特定できたら良いなと思う。まだ希望は持てているので、夏の間はこれを考えつつ進もうかな。日系大手のインターンが、ベンチャー企業のインターンよりも数多く参加できることを祈りつつ。

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