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人生は1クレジット

子供の頃からずっとゲームが好きだった。
身体の弱かった自分にとって唯一弟や友達と対等に競い合えるツールがゲームだったからだ。

今日はそれからの話をしたいと思う。

それから

何の能力もなく、取り柄がない私にとって、対戦ゲームが全てだった。
どうやったら上手くなれるんだろう。どこまで頑張れば終わるんだろう。

夢中で書いた記事は思った以上に拡散され、嬉しさと反するように身体はボロボロだった。

どうしてあんな記事を書いてしまったんだろうか。
どうして自分は挑戦し続けなければならないのか。
自分で決めた道なのに、怖くて泣いた事もあった。

記事を読んでくれた沢山の人から応援のメッセージを貰ったあの日の私は、
期待に答えられるか不安で仕方がなかった。

2021年3月31日 私は会社を辞めた。
1年位本気でゲームに打ち込んでみるつもりだった。
あの頃は本当にどうにかなりたくて、どうにかなりそうだった。

結局、4月に入っても生活は変わらなかった。
朝起きて、飯を食べて風呂に入って、だらだらと過ごした。

やらなければならない事が沢山あったはずなのに、スイッチが切れたように書けなくなった。ライターの仕事をしようと思ったが、文字を書く自信は0になっていた。

結局、終わりもしなければ始まりもしない選択肢を私は取ってしまった。
何もしていないのに貯金はゴリゴリ減る。

焦る時間だけが増えた。


いい加減にゲームしなくちゃいけないなと焦った。
でも、出来なかった。

何もしないで過ごす時間はものすごい罪悪感を産んだ。

4月の終わりにとある病院と企業とプロ選手によるオンラインeスポーツ交流イベントに誘われた。格ゲーのプロも参加する。タイトルはスト5だった。

参加すると返事をした。正直不安でいっぱいだった。
出来なくて辞めたのにどうやってまた始めたら良いかで頭を抱えた。

格闘ゲーム辞めたこの私が参加して良いのだろうか。
予定の日は2週間後だった。

握ることを一度諦めたコントローラーをもう一度握るのは怖かった。

一度、格闘ゲームから逃げたからだ。

上手さを誰も求めていない事は理解していた。
楽しくやればいい事も理解していた。

でも、中途半端にやるのだけは許せなかった。
期待には答えなければならなかった。

こうして私は、もう一度格闘ゲームを始めた。


周りが一緒に操作の工夫を考えてくれた。

手始めに握る事を諦めたコントローラーを試しにもう一度握ってみた。

分かっていた。
ボタンもスティックも思うようには動かせなかった。

不安で吐き気が止まらなかった。
それでも、もう逃げたくはなかった。

イベントまでにどう間に合わせたら良いかで頭の中はグチャグチャだった。

角度や腕の位置を変えたところで、操作はうまく出来なかった。
波動コマンドも、タメ技も、通常技キャンセルも思うようには出来なかった。

ずっと吐き気は収まらないし、肩でする息は荒かった。

キーボードとマウスしかまともに操作できない自分には格闘ゲームはもう無理なんじゃないかと、辞退のメールを出す選択も頭にはよぎった。

イベントまでの時間は残り少なかった。


逃げてばかりの人生で、この先良いのか。
また好きなものから逃げるのか。

ゲームだけは、もう諦めたくなかった。

両手がダメなら何で操作するかを考えて、顎で操作をすることにした。

最終手段だった。

スマホ用のアームにゲームパッドをグルグルに巻き付けて固定した。
かろうじてキャラは動かせた。

スト5にはコマンド入力を必要としないキャラがいた。
私はエドを使うことにした。

最初は思い通りにキャラは動かなくて、とにかく練習するしか無かった。


顎の皮膚はボロボロだった。初めて顎にニキビが出来た。
皮はズル剥けて痛かった。それでも、絆創膏を貼って練習を続けた。

やるしかなかった。


色々調整を重ねるうちに、操作も少しずつ上達した。


もう二度と出来ないと思っていた格闘ゲームがもう一度出来ている事が何よりも嬉しかった。


だが、当初の目的だったイベントは、緊急事態宣言延長の影響で延期になった。

最初は誰かの期待に答えるためだった。
頼まれたからゲームをやらなければならないという気持ちだった。

気付いたら、夢中で遊んでいた。

格闘ゲームが楽しくてしょうがなかった。

自分のために格闘ゲームをしていた。

誰のためでもない。
自分にとっての生きがいを思い出した瞬間だった。

それ以来、出来ないことを諦めるより、どうしたら良いかの工夫を考えるように変わった。
出来ないと諦めていたコンボも、次第に出来るようになった。


もっと上手くなりたくて、専用のコントローラーを作ることにした。
コントローラー制作には沢山の人が協力してくれた。

初めてのオフ会、渋谷会館で一緒に遊んだ機械設計士の友人が協力してくれた。

頑丈なコントローラーの固定具やパーツを彼は作ってくれた。


コントローラー本体には、アケコンパーツショップの叢雲商店さんがパーツ選定を協力してくれた。レバーボールの形状は顎にフィットする物をアメリカのレバーショップに依頼、3Dプリンタで出力し、送って頂いた。

本当に感謝しかない。


こうして、憧れだった自分用のアケコンを手に入れることが出来た。

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レバーを倒すと小気味よくスイッチの音が響いた。
物凄く嬉しかった。

初めてレバーに触れた時、27歳ながら子供のように喜んでしまった。
コントローラーもガタつかなく、思った方向にレバーがちゃんと入る事が物凄く嬉しかった。

人生は1クレジット

なんだかんだで色々あったが、

私は今、あの頃と同じ様に格闘ゲームをしている。

今年で格闘ゲームを始めてから10年が経つ。

相変わらず投げは食らうし、シミーも食らう。勿論中段はガード出来ない。

それでも続けてしまう魅力が、格闘ゲームにはあると思う。

何かを諦めて大切な何かを失ってしまった自分との折り合いを付けるために全力でぶつかってみる事で、全く違う答えが見つかった。

私にとって諦めて失った物とは、失くしてはならないくらい大切な生きがいだった。

これから先、どんな未来が待っているかは分からない。

きっとこれから沢山負けるし、挫折だってきっとする。

それならば、何度だってコインを入れよう。

それならば、何度だってレバーを回そう。

それならば、何度だってボタンを叩こう。

ノーコンティニューで終わって良い人生なんてないんだ。

人生は1クレジット。

それは、自分にとっての特別を見つけるための1クレジットなんだと思う。

私は一度、その特別を失くしてしまった。

誰かの応援がなかったら、きっと一生見つけることは出来なかった。


それを、今なら胸を張って言える。

格闘ゲームと出会えて本当によかった。

あなたに出会えて本当によかった。


そう、私はあの頃と何も変わらないまま

格闘ゲーマーだ。


対戦ありがとうございました。

Jeni / 畠山駿也


いただいたサポートはコントローラーの開発費や、活動費用に充てさせて頂きます。