瞑想と呼吸の90日チャレンジ(35日目)~稼げないものは職業ではないという価値観
35日目。
今日も呼吸と瞑想20分。
30日目から取り入れた呼吸法は
以前もやっていたものなのに
なぜかなかなか身体に馴染まない。
筋力のつくスピードが遅くなったのだろうか(汗)
まっ、40日まで様子をみればいいや。
さて、瞑想中に思い出したこと。
「●●をやるならこうでないと(できない)」
「こうでなければ●●はやりたくない」
ほんとうはやりたいんだけど
環境がそろってないからできない
(環境があればできるのに、と思っている)
そんな言い訳ばかりの時期があった。
知り合いたちからは
”別にこうじゃなくたって
●●はできるじゃん!”
”本当にやりたいなら
いつでもどこでもできる場所があるよ”!
そう言われてもピンとこなかった。
どこでもできるけど
稼げないと意味がないよね。
食べていけるようにならないとだめじゃん
(誰に対して?なんだけどねぇ・・・)
必ず付いて回る「稼げるようになるには」
という一見まともな刷り込み。
でもこれが足かせになってた。
気がついたのはこの「稼げないとだめ」
という価値観が何から来ているのか、ということ。
稼げない
⇒恥ずかしい、情けない、ちゃんとした大人じゃない、
社会で認められない、「職業」ではない。
生活できていればそれはスゴイけど
そうでなければ趣味の域じゃないの?
その価値観が残ってたんでしょうね。
確かに昔むかーし、そんな風に考えてた心当たりはありますが、
それがちょっと前までの自分の首を絞めていたなんて。
そしてその価値観が
とてもくだらないもので、さらに、
その価値観で色んな人を知らずに見ていた
その時の自分に気がついた。
「馬鹿にしている」
「下にみてる」
そんなことを言われたことがって
「そんなことないよ!」
と言っていたけど、潜在的にあったんだろうな。
あー。またひとつ脱皮したかも。
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