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母と私~コロナで訪れた想いの変化

年頭に亡くなった母との出来事や思ったことを
書き留めています。

私と母の関係というか
年齢と共に弱っていく母と
昔の母の年齢を追い越していくうちに
色々と母への想いに変化はあったのですが、
それを大きく変えたのはコロナでした。
もちろん、いいことばかりではありません。

好ましくなかったのは
対面の面会が2年近くできず
その間、刺激がないからなのでしょうか、
やはり衰えというか
母の生命力がどんどんなくなっていくのが
モニター越しに分かりました。

なぜそう感じたかというと
終末ケアで短期間で家族がちょくちょく訪問するようになると
もう、お迎えもそろそろだったはずなのに
急に元気になりスタッフさんも驚くほどでしたから
やはり、家族との面会は母にとって
私が思うよりもずーっとずっと重要なパワーの源だったのだろうと
思うのです。

でも、コロナの影響で良かったことがあります。

母が施設にお世話になると決まってから
病気もあり、このまま施設で最期を迎えるのはわかっていました。
もう実家には帰れない、
いつかはわからないけれど、確実に数年後に「その時」は来る、と。

「その時」が来た時に
後悔はないようしておきたい。
もうその後は絶対に会えないとわかっているのだから
言葉を交わす事
優しく触れること、
今からできることをできる限りしたい、と

そう思って数年過ごしていたのですが、
思わぬコロナによる施設での面会禁止が訪れました。

万が一、母がコロナに感染したら間違いなく死ぬ、
または
このままお互いに会えないまま逝ってしまうかもしれない
その前に私のことを完全に忘れてしまう可能性もある。

時間がないかも、
間に合わないかも、
いや、間に合いたい

なぜなら

「まだ伝えないといけないことが、ひとつだけ残っているから」

そんな考えがフッと頭をよぎりました。
私が絶対に伝えなくてはならないこと。
なかなか言えずに握りしめていたこと。

『生んでくれてありがとう』

これがどうしても母に言えていなかったのです。

育ててくれたことに感謝している、
それは言えても、根本的な命に対しては
思うところがあって言えなかったのです。

でもコロナの影響で強制的に「会えない」という状況が
私の背中を強く押してくれたのでしょう。

最後に5分だけ、という時間の中で振り絞って言えた
「生んでくれてありがとうね」に、
ちょうど入院中の母は、照れくさそうに笑って言いました。
「ううん、たくさん苦労かけてごめんね」

嬉しそうでした。
こんなことならもっともっと早くに言っておけばよかったと
何をこんなにギュッと自分で握りしめていたのかと
ちょっとだけ後悔しました。

その後、LINEを使ったテレビ電話で面会が可能になり
1年半、できるだけ毎週5分でも10分でも
顔を見せ、私の声を聞いてもらいました。

それでも日に日に痩せて小さく、しわくちゃになっていく母。
少しずつ色んなことを忘れてしまう母。
無表情で寂しそうな母。
時には機嫌が悪く、一言も口をきいてくれない母(笑)
たまににっこり笑う母。

私はいつしか、母の笑顔がとても好きになり
母の笑顔が私を喜ばせることに気づき
母の笑顔が見たくて、子供じみているけれど
たくさん、「かわいいね」「お母さんの笑顔が大好きだよ」
「ありがとうね」「お母さんのおかげだよ」など
母が喜ぶ言葉を大出血サービスするようになっていました。

全部忘れちゃう母なので
何度言っても初めて聞いたように喜ぶんです。
何度同じことを言っても嬉しそうに笑って喜んでくれる。

子どもは母親の笑顔が好き

そう、50を過ぎて初めて
私は母の笑顔が好きだったと気づいたのです。

そこからはもうとめどなく母への「想い」が
溢れて止まらなくなりました。
何の迷いもなく心から
「お母さん大好き」と
そう言えるようになっていました。
私自身が、母の娘でもあり、
母の子供に戻る時間でもあったのです。

でもついに「その日」は近づいてきました。
そして「その時」は訪れました。

でも不思議なことに
私のこころは乱れることなく穏やかでした。

きっと「間に合った」からだと思うのです。
最期を前に過ごした短い面会の時間は
まさに二人だけの幸せな「蜜月」の時間でした。

もし、お母様がご健在で
伝えておきたいことがあるならば
ぜひ、勇気を出して伝えてほしいと思います。

その日が来るまえに。
その日はいつ来るかわからないから
きっと早ければ早いほどいい。

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