瞑想と呼吸の90日チャレンジ(36日目)~盗むという甘えの自覚と感謝
東京も朝は涼しくなってきた。
起きるにはちょっと肌寒く、
ベッドでまどろむには最高の気候で・・・
毎朝その誘惑と闘っている。
今日も呼吸法と瞑想20分。
さてさて、今日の瞑想の時の話は
また長くなりそう。
まずは、これを伝えておこう。
経典ヨガスートラにある
ヨガを実践するための段階「ヨガ八支則」の禁戒に
「アスティヤ(不盗)=奪わない、盗まない」というのがある。
物品はもちろん、時間、エネルギー、労力、
まぁ、色々あるのだろうけど。
今朝はこんなことをふと思ったのだ。
最近、自殺者が増えているそうで
相談窓口の連絡先を目にすることが増えた。
身近にも「今、もしかしたら厳しいのかな?」
と気になる人もいる。
話しを聞いてもらいたい人はたくさんいると思う。
ちょっとウツ症状が出てくると特に、
そういう時は具体的な解決よりも
話しだけとにかく聞いてもらいたい、
否定もされたくない、
そんな時にこういった窓口があると救われるのかもしれないな。
普段でも聞き上手の友達がいると
自分が弱っている時はつい電話してしまうもんね。
私も昔あった。
ちょっと精神的にやばかったとき。
夜中に起きてる友人に電話して
自分からかけたくせに途中で切りたくなちゃうの。
勝手だよねぇ・・・毎晩誰かに電話して。
その時は
自分のことに精一杯で考えてもみなかったけど
それって、その人の時間やエネルギーを分けてもらってるんだよね。
他に使うはずの時間を私にくれてるんだ、
他に使うはずのエネルギーを私に注いでくれている。
それに気づいてなければ
無意識に「奪ってる」ことになる。
そこに「感謝」の気持ちはあったのだろうか?
いや、なかったと思う。
つい、甘えでその人を頼ってただけ。
だって、1時間10000円だったらかけないと思うもん。
完全に甘えがあるよね。
友人とか家族とかに、そういうことしやすいかもしれない。
だからといって、迷惑にならないようにって
閉じこもって1人で耐えたりしないでほしい。
ただ、
その人からいただいたものに対する「感謝」は
絶対に忘れてはいけないんだな、って思う。
何気ない相談、何気ない質問、
すべてその人の何かをもらっていることに変わりはなくて
だけど、そこは
(時間もらって)ごめんね、とか
(心配かけて)すみません、とかじゃなくて
あなたが時間を私のためにくれて
あなたが私を気にかけてくれることに
「ありがとう」
この言葉をいえることが大切な気がする。
その人が私に与えたいと思えるぐらいの「価値」が
ちゃんと自分の中にあるから
まずはその自分に気づいていたいよね。
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