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瞑想と呼吸の90日チャレンジ(61日目)~目に見えないものへの拒否反応

61日目。
今朝は・・寝坊した。
5分集中!

さて、目に見えないもの
というか
五感で確認できないものって
「知ってはいる」けど
自分の中でふわふわしてしまう

人に伝える時に
「こういうことらしいよ」というのと
「こういうことです」というのの違いがある。

オーラ、チャクラ、エネルギー、
どうしても腑に落ちてこないと思っていたところに

友人からそういったもののメッセージがきた。
熱量がメッセージから感じる。
もちろん「これいいこと書いてあるから、見て、読んで!」
と勧めてくれてる気持ちもすごくよくわかるのに

(いや、それ知ってるけど
 まだ100%理解できてないから)
(今はそれ以上、推してこないで)
とほんの少しでもうんざり思ってしまった自分に気づいた。
情けない。

そして同時になんだか「その内容」自体を
拒絶する拒否反応まで見えた。

あれに似てる。
知り合いが在る人の熱烈なファンで
「このひとってあれもいい、これもいい」
とやたらに熱く推されると

なんだかお腹いっぱいになって、
むしろ

自分もその人のことはちょっといいなと思っていたのに
けなしたくなったり、
嫌いにすらなってしまう拒絶反応。

あれに似てるかも。

ま、それはそれで置いておいて。
その五感で感じられない(感じられなくなった?)ものに対して
なぜこんな反応するのか、
そして今後も理解できないのか?
できれば受け入れたいのだけどな、と考えてみた。

考えてみたら
むかーしむかしから同じことはあったのだ、
と思い出した。

地平線が丸くなっていることも
地球が自転していることも
中国4千年のツボも
脳波だって

最初は未知で
まゆつばっぽかったのかもしれない
いや、そうだろう、きっと。

最初にナマコを食べた人も
ドリアンを食べた人も

今思っても「よくこんなの口に入れたな」
と思ってしまうし。

ということは、
「当たり前」になるときはくるのだ。

自律神経の乱れって
それこそ最近になって「当たり前」の知識になったと思う。
昔は「気のせい」と同じようなものだった気がするし。

きっと私の中の目に見えないものも
ゆっくりと時間をかけて
私の中で「当たり前」になっていくのだろう。

そう思ったら余裕、
自分にスペースができた。

何をキリキリしたのだろう。
きっと「理解」を急かされたつもりになったのかもしれない。

ゆっくりいい感じに行こう。



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