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自分が使わない言葉(日記)

 何歳になりました、ではなく、生まれてきて何万日目になりました、という言い方の人をたまに見かけて、何となくやりづらい気持ちになる。

 多分自分で思いついたことでは無いんだろうな、というのがまず頭をよぎる。その次に、この人はどこかでその表現を見たときに、それを凄く良いものだと思って、だからこそ今もまだ使い続けているんだろうなと思う。

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 とても意地悪な書き方をしたが、気を抜いているときに自分から出る言葉は、全てそのような状態にあると思っている。「それを凄く良いものだと思って、だからこそ今もまだ使い続けている」もの。

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 大学生くらいの頃から、趣味の一環として、''自分なら絶対に使わない言葉''を集めるようにしている。メモ帳にそういうフォルダがある。
 そこには、たとえば「くびったけ」、「ほの字」、「秘蔵っ子」がある。これは、単語自体が面白すぎて、自分では使わないなというジャンル。古さとか、江戸っ子っぽさとか、言葉自体が今居る文章以外のところから変な面白さを持ってきてしまって、会話が上手く進まないので、僕はそういう語はあまり使用しない。

 他のジャンルだと、「男泣き」、「女心」、「イクメン」など。性別を分けて強調して意味を付与することに、別に何の面白さも感じないので、絶対に使わない。使わないというか、自分からそういう表現が出てこない。
 「自転車操業」、「両手に花」のように、一番最初は良かったものの、比喩自体が便利道具になってしまって、比喩の効果が薄れてしまったものも、あまり使わない。それを言うくらいなら自分で新しい比喩で喋りたいと思う。
 「ぼーっと生きてんじゃねえよ」、「そんなことってあります?」、「待って」、「大優勝」、「大したもんだ」、「〜息してるか?」、「神」のように、口調ごとでメモしているものもある。なんか普通におもしろくないから、という理由だが、どこかうっすらずっと誰かを馬鹿にしてるというか、失礼な物言いが逆に流行っているものがちょこちょこある。「そんなことして誇らしくないの?」とか。悪いとは言わないが、好みでは無い。褒めたいときは順当に褒める言い方で言うし、ちゃんと悪く言いたい時はちゃんと悪い言い方で言いたい。ほんのり反語、みたいなものは受け手の負荷が大きい気がする。

 等々、200フレーズほどメモしているが、忠実に付けているわけでもなく、ほとんど見返してもいない。

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 今の例は、明らかに使わなさそうな言葉だが、ふつうの言葉でも同じことが言える。「同じこと」と言うか「同様の」と言うかでも分かれるし、「ふつうの」と「普通の」でも違う。「違う」と「異なる」でも違う。

「私は」「僕は」みたいな一人称からまずそうだし、話し言葉っぽいのか書き言葉っぽいのかでもそうだし。自分が今いちばん話しやすい話し方で話している。見やすい文字の書き方で文字を並べている。
 気分にもよる。「果物」と言いたい時もあれば「フルーツ」と言いたい時もある。

 ふつうに人々が話しているようでいて、どの言葉を好んで使っているかには無限のグラデーションがある。(僕は本当はグラデーションという言葉を使わずにグラデーションを表したいが、あまりにもこの単語が便利すぎて、時間を割けないときはいつもグラデーションと言ってしまっている。一単語ずつにそういう背景が本来ある。)

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 自分が面白いと思う言葉を、心地いい状態で配置する。それを繰り返し続けることが、自分にとって一番面白く、極端に言えば生きている意味はそこにのみある、と思う。
 だから、自分が面白いと思っていない言葉が自分から出る訳もなく。逆にそれを面白がって使うこともあるが、たとえば僕がふだん作っている俳句や短歌ではそういうことはしない。作品として、それは残したくない。

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 どういう言葉を使うか、使っているか、というのは、(全ての人間が僕のように考えて発言しているとしたら、)何を面白いと思っているか、とほぼイコールになる。
 最初に挙げた誕生日の例で言うと、僕にとっては、誕生日という概念自体が「ふだん時間を意識せずに生きている生活を一回年数で捉えてみる」というやや特殊な行為を示していると思っているので、それを更に細分化して「日数」にするのは、顕微鏡でミジンコを見たあと資料集で大腸菌の大きさを知る くらい気持ち悪い。同じように、一時間が六十分なのはいいとして3600秒だと言い出すのも気持ち悪く感じる。細かくしすぎることで、不必要に解像度が上がってしまう。
 でも、その人からしたらそれは、「ふつう何歳で言うところを日数で言う」というスカしたボケで面白いものとしてあり、「めちゃくちゃ生きてきたように見える錯覚」が面白くてたまらないのだろう、と思う。
 僕は、それは面白くないと思うので僕からは言わないが。

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 自分ならそれ言わないけどなー のあと、「そこがこの人の魅力だよなー」に繋がる方と、「だからこの人はちょっとまずいよなー」に繋がる方がある。前者の方がやはり嬉しい。
 誰かが僕の文章を読むとき、自分はその比喩しないけどなー 変なの のあと、そこがいいよなー に繋がってくれていたら、面白いなと思う。そこが、文学の唯一の面白さだと、心から思っている。

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 自分が面白くなったら、自分が使う言葉も洗練されていって、文章ごと面白くなったりしないかな、と思ったりする。でも、自分が面白くなるよりも、言葉を面白くする方が比較的簡単で、そこに甘えてしまって、なかなか文章が上達しない。面白い言葉を探して、それによって自分も面白くなって、みたいな、そういう奇跡のサイクルに入れたらいいなーと思いながら読む詩集は、非常に読み心地が悪い。

20221004

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